ほんのわずかな距離の横断歩道。
赤信号で律儀に渡るのを待っている人を見て思った。
いい人ほど人生の時間とか感情とか(騙されたらお金も)を損してるんじゃないかと。
世の中には悪い人とは言わなくても、他人の気持ちに寄り添えなかったり、想像力や配慮に欠けた人がどこにでも一定数いる。
自分だけが得をしたらいいと考えている人。
この社会で強く生き抜いていくために、ある程度の強かさは必要だとはいえ、あまりにも利益や生産性や効率を中心に生きている人はどこか胡散臭さを感じてしまう。
世の中の人の属性を大きく二分すると資本家か労働者に分かれる。
言わずもがな大多数が労働者。
社会システムを単純化すると資本家が労働者(=情報弱者)のあらゆる財産(お金、時間、感情)を搾取している構図になっているように思う。
メディアを通じて幸福の概念を生み出して、欲望を刺激してそれに沿うように誘導する。
これを買ったら幸せになれるよ。なんて。
言ってる自分もその渦中にいると言う矛盾を抱えながら。
でも資本側が作ったルールにコントロールされたり煽動されることを損失としてしまうのは気が早い。
人としての良心はたとえ時間やお金を搾取されたとしても違うレイヤーの事象のような気がする。
例えば人助けや誰かの役に立ったり善き行いをしたとき、心があたたかくなる。
誰しもが存在を認めてほしい気持ちの表れとして、承認されたり何かの役割を欲している。
それをどのように得るか、が人間の本質として重要だと思う。
お金や時間を使って得れるものもあるけれど、そうではないものを見つけれるとたとえ労働者側でも普遍的な心のあたたかさにつながるのではないだろうか。
いろんなことを知った上で損得ではなく自分の気持ちをどんな状態にしておきたいか。
結果的にそういう姿勢でいる人がいい人なんだと思う。