だれでもできること

コース料理をしているとデザートも作れるなんてすごいとたまに驚かれることがある。

料理もお菓子も食材を扱い作る工程で見れば個人的には同じ分類だと思うのでそんなにむずかしいことではない。

でもあるお客さんからしたら料理とお菓子はきっと別物なのだろう。

もしくは美味しく作れるということにおいて驚いているのかもしれない。

基本的には料理もお菓子もレシピがあって手順があってその通りにすれば、よほどの不器用さでなければだれでもできるものと思っている。

 

こう書くと嫌味に聞こえてしまうけど、説明書さえあれば大抵のことはできるはず。

料理に限らず、裁縫も、ガーデニングも、あらゆるDIYも、材料と手順がわかれば基本的にはだれでもできておかしくはない。

そのためにこの社会では再現性のあることは積極的に共有される。

ビジネスも自己啓発も塾もセミナーも、できる人ができない人へ教えるという構図で、手順さえ言語化できるとそのまま真似をするだけで、だれでもできる人になれる、はず。

ところが世の中そうなっていないのは、説明書があって材料と手順があってもできるようになるとは限らないことを示している。

なりたい姿や憧れていることもいっぱいあって、そうなろうともしているのに、今現在できていないのは、デザートが作れることに驚いている人と同じだ。

本や動画やセミナーなど説明書なんて溢れているにも関わらず、理想のようになれないのは本人の努力以上にそもそもの特性や性質の問題が大きいように思う。

材料がうまく混ぜれない、食材を上手に切れない、そんなレベルとそう変わらないかもしれない。

 

人には向き不向きがあるということ。

どうしてもできないことはやっぱりできない。

できる人からしたら簡単なことでもできない人にとってはどうがんばってもできないのだ。

もちろん運や環境も左右するだろう。

無理をして消耗するより向いてる能力を伸ばすことに注力する方が社会全体もうまく回る。

ただ難易度の問題だとも思うので、大金持ちになるよりお菓子を作ることは簡単なので、だれでもできておかしくはない。はず。

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