料理と哲学

仕事だけでなく日々の料理を作っていて、食材と向き合い、調理をしている中で、「料理ってなんだろう?」と、ふと頭をよぎることがある。

もちろん、お腹を満たすため、美味しいと感じてもらうため、という目的が大前提だけど、それだけでもないような気がする。

例えば、一つの野菜を切るにしても、ただ単に細かくすればいいわけじゃない。

その野菜の個性、育ってきた土壌、季節、そして最終的にどんな料理に仕立てたいのか。

もっと言えば相手の喜ぶリアクションだって想像する。

そういった様々な要素を考慮して、切り方一つを選ぶ。

これって、まるで物事の本質を見極めようとする哲学の営みにも似ているのではないだろうか。
素材の組み合わせだってそう。

酸味と甘味、苦味と旨味。相反する要素が共鳴し、新たな調和が生まれる。

それは、対立する意見が議論を重ねることで、より深い理解へと繋がる哲学の探求と重なるようだ。

盛り付けだって、単に美しければ良いというものではなくて、食材の配置、色彩のバランス、余白の取り方、そこには、作り手の意図やメッセージが込められているはず。

それは、哲学者が言葉を紡ぎ、自らの思想を表現する行為と通じるのではないだろうか。

相手が料理を口にし、どんな表情をするか。

美味しいと感じてくれるだろうか。

何かを感じ取ってくれるだろうか。

そんなことを想像しながら料理を作る時間は、まるで自分の考えを世に問い、その反応を待つ哲学者のようだ。

もちろん、哲学者のように難解な言葉を弄するわけではなくて、自分の表現は目の前の一皿の料理。

しかし、その一皿には、食材への敬意、技術への探求心、そして何より相手への想いが詰まっている。

もしかしたら、料理と哲学は、遠いようでいて、根っこの部分で深く繋がっているのかもしれない。

どちらも、目の前の事象を深く掘り下げ、本質を探求し、そして何かを表現しようとする人間の営みだから。

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