ギャンブルの類いとは縁遠いので、街中にあるパチンコ屋さんや競馬場に多くの人が出入りしているのを見ると、いつも率直に疑問を感じてしまう。
なにが目的なのだろうと。
それがもしもお金儲けである場合、シンプルにギャンブルで稼ぐのは難しい。
ゲームとしての楽しさなのか、ストレス発散なのか、もしくはただの暇つぶしなのか。
ただ、ギャンブルにハマる人の気持ちはなんとなくわかる。
楽をしてお金を手に入れた時の気持ちよさは何ものにも代えがたいだろう。
自分の選択が当たったという感覚、一時的な高揚感、ドーパミンという物質はなかなかに厄介だ。
損をしていても一発当てたら過去の損失を取り戻せるという仕組みが人を魅了させる。
次こそは、次こそは、とハマってしまい後戻りできなくなっていく。
そして不思議なことに、煙草の喫煙と同じようにお金のない人の方がギャンブルをしている。
給料が入ったら後先考えずにすぐ使う。
自分の父親がまさにそんなタイプだった。
昭和という時代の価値観かもしれないけれど、貧しさがひもじさやギャンブルに結びついていた。
時は変わり、不景気が続いた平成だったからか、今持っている材料でいかに豊かに暮らすかが問われていたように思う。
丁寧な暮らし、断捨離、ミニマリスト、なんて言葉をよく聞くようになり、お金がなくても豊かに暮らせる方法をカリスマたちが教えてくれた。
相反するものではないけれど、お金ではなく時間への価値にシフトした。
成果や生産性を気にせずに没頭できるような趣味的なものやこと。
言うならばそれらは文化的な豊かさだと呼べるだろう。
お金がないからたくさん働くでもなくて、ギャンブルするのでもなくて、生活コストを見直し、移住するなりして、自分の身の丈に合った工夫をしていく。
ただ、文化的豊かさを得るには知的なエネルギーがいるように思う。
幼い頃からの教養や教育によって考える力や視野の広さがないと、文化的なものを楽しめる素養が育まれないような気もする。
令和になり、丁寧な暮らしもあまり聞かれなくなった背景には、女性の社会進出があるだろう。
格差こそ生まれているものの、世界的にも貧困は改善されている。
生活水準は上がり、清潔さや安心安全が向上したこともまた豊かさの現れだ。
でも日本はいま貧しい国と言われている。
共働きでますます時間に追われ、食事が疎かになり、ストレス発散で健康を損なうのは本末転倒だ。
自分にとって本当の豊かさとはなにか。
時代の価値観が変遷しても、その軸さえしっかり持っていれば、意外と何が起ころうとも怖がらずに生きていける。