内向型の宿命

社会で上手に生きていくためには、コミュニケーション能力やキャリア形成、人脈作りが欠かせない。

現代のこの社会システムにおいて、資本主義というゲームルールにおいては、ということ。

特にインターネット社会では、顔出しができて、人前で饒舌に喋れるとさらに有利にはたらく。

YouTubeやインスタなどのSNSでインフルエンサーになれるのは、おおよそ外向型の人が多い。

巷のビジネス本やビジネス動画では、外向型の人たちがさも努力すれば誰でもこちら側の世界に来れる、というふうに情報弱者の弱みにつけ込んでビジネスをしている構図のように見える。

努力次第でコミニュケーション能力は上がるのか。

うまく話せるようになるのか。

外向型になれるのか。

努力で多少の能力向上はあったとしても根本的な人間の性質は変わらないように思う。

外向型の反対の性質である内向型の人たちは、どれだけがんばって今の社会に適応しようとしても、人格や癖みたいなものがそう簡単に変わらないように、難易度が高いのではないか。

それに幼い頃の親の教育や、兄弟構成や、住む場所などの環境でもある程度の性質は決められてしまう。

語学の習得や経験で得られる上達のようなスキルは努力にも伸びしろがあるけど、性質や性格は努力ではどうにもならない部分がある。

 

今でこそ盛んになった性格分析や社会の風潮は内向型やマイノリティな人たちにも光を当ててくれる。

世の中にはいろんな人がいるし、いろんな世界、いろんな視点があるよね、というふうに。

これもある意味でインターネット社会の恩恵だろう。

情報が隅々まで行き渡り、世界が細分化し解像度が上がった。

LGBTQをはじめ発達障害やADHDや繊細さん、という言葉もずいぶんと浸透してきた。

努力では変えられない元々の性質をどのように社会に活かせばいいかを考えることが重要になっている。

そうしてるうちに、できない人やマイノリティな人に対して社会も寛容になってきた。

体育会系でなくとも、陽キャでなくとも、コミニュケーションがうまくなくとも、活躍できる場はたくさんある。

とはいえ、現行の社会ではまだまだマッチョな考えの人たちが支配している。

決められたルールを昔からこうだからと理由の説明もなく押し付けてくる人、みんなで足並みそろえないとうるさい人、自分の機嫌や都合を理不尽に強要してくる人。

古い体質の組織は見えてないだけでまだまだたくさんあるだろう。

 

いかに自分の性質を環境に適応させるか。

それにしても内向型の人はやっぱりちょっといろんな面で不利だと思う。

どこまでもいっても社会のゲームルールが変わらない限り、内向型は生きづらさを伴う宿命にある。

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