手に職があっても

手に職とは、専門的な技能や資格を身につけることを指し、それらの能力を仕事に活かして働くことを意味する。

子供の時にはよく、手に職をつけた方がいい、と言われた。

だからといって料理の道を選んだわけではないけど、なんとなく手に職をつけた方が有利だというのは、子供心ながらに繰り返されるメッセージの影響を受けていたのかもしれない。

もちろん何もできない人(本当の意味で何もできない人はいないけど)よりかは、何かひとつ他の人より秀でた能力を持っていると貴重な存在にはなれる。

ただ、なにかしら手に職を持っていたとしても、それを活かせる「仕事」、というよりも「市場」がないと役に立たないし、意味がないのでは、という疑問を常々感じている。

 

市場とは、需要と供給で成り立っていて、その加減は時代や社会によって変動している。

ちょっとした流行は一部の人たちが仕掛けたりもするけど、大きな流れでは人為的に操作できるものではなく、たくさんの人の集合的な無意識が、夢や希望に基づき時代や社会を形作っていると思う。

例えば、いま目に映る景色として、インターネット社会でデジタル化が進むにあたり、いろんな職人さんの手仕事の価値が下がっている。

もちろん唯一無二の仕事をする職人さんの価値はどの市場でも高いけど、多くは安くて良質なものをみんなが求めるので需給のバランスは当然変わっていく。

そうなると、どれだけ手に職があったとしても求める人がいなければ成立しない、つまり食べていけないことになる。

料理が人より上手にできる、くらいの手に職では成立しないくらい、今の飲食業界はお店も飽和しているし、何より手に職から生まれる味の美味しさというより、情報やブランディングの良し悪しが市場の動向を決めている、ように見える。

 

反対に市場を先読みして手に職をつけることもまたむずかしい。

できる人はできると思うけど、往々にして手に職を身につけるということは、何かに夢中になった先にあるように思う。

そこには作為がなく恣意的でなく自然発生するような場合が多い。

先天的な技能であったり、コンプレックスであったり、血統であったり、いろんな震源地があるだろう。

気づいたらできていたこと、努力してるつもりのないこと。

なので、時代が呼んでいるとか、波にのっているとか、と形容されるように、うまくいってる人は偶然の産物であるような気もする。

本当は人それぞれに他の人より手に職的な技能ではないにせよ、秀でた能力があっておかしくはない。

問題はそこに市場があるかどうか。

市場が操作できないのだとしたら、人生はもう運でしかないのだろうか。

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