適度な社会性と適度な裁量権

一般的に学生を卒業して仕事を始める時点のことを“社会”に出ると言う。

そして自分の力でお金を稼ぐ人のことを社会人と言う。

高校生でもアルバイトをしていれば社会人経験になる。

遠足で行く工場の見学も社会見学と呼んだりする。

社会とは、大人の世界であり、ある意味で生きもののようでもあり、秩序や作法が存在していて、入場してしまえば自然とそれらを構成する一員として認められることになってしまう。

その時点できっと多くの人がありのままの、本来の自分ではいられなくなる。

それぞれに属した環境の文化やルールが存在していて、それに迎合することを求められる。

先輩の指導を受けて、新しい仕事を覚えて、少しくらいの違和感であれば自分の中に閉じ込めて、思っていることを言ったとしても一蹴されて、理不尽なことも、上司の顔色を窺うことも、その場の空気に馴染むことも、次第に抵抗力がつくようになり立派な社会人になっていく。

愛想笑いができるようになったり、目上の人を立てれるようになったり、嘘をつけるようになったり、外側の自分というか、余所行きの自分というか、そうして社会性を身につけていく。

大人になるということは社会性を身につける、と言っても過言ではない。

そしてそれは社会で生存していく上でとっても大事なことなのだ。

 

でも、そんな大事なことにもかかわらず、どうしても性格的に、先天的に肌に合わない人がいることも事実としてある。

野球は苦手だけどサッカーなら得意というふうに。

得意不得意の問題にも近いように思う。

社会に合わない人が生きていく唯一の道は、その抜け道は自分で何かをするしかない。

起業なり、引きこもりなり、自らがつくりだす世界の中で生きていく。

自分で自分の人生をコントロールできること、自分で自分の道を決めれること、つまり裁量権を持つことは幸福になれる一要素でもあるから、それを得ることもとっても大事なことなのだ。

そんなことはわかっていても、社会性を身につけることと、裁量権を得ることの両立がなかなか難易度が高い。

自分で起業したとしてもお客様がいる限り社会性が必要だし、会社という組織にいても裁量権を持てるようになるには時間をかけて昇進していかないといけない。

要はバランスが大事と言ってしまえば答えとして安易すぎるけど、自分の特性に合った落とし所をどう見つけていくかが、人生をかけて取り組むべき課題のような気がしてならない。

そう考えると小さい頃に親が自営業をしていて、その背中を見れること、社会に触れる機会があること、いい大人が周りにいることは、そのバランスをとる上で有利にはたらくのではないだろうか。

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