過去の歴史を振り返ってみれば、男性による女性の扱いは、まあひどい。
道具のように扱い、人権すら与えられていない。
その名残というか、慣習というか、文化は今も諸問題として浮き上がってくる。
フェミニズムという言葉と共に、女性の社会進出も増えてきて、長い時間をかけて徐々に問題が解決しているようで、男尊女卑的な考え方の男性はまだまだいるし、本能的な衝動からか理性100
%の人間になることもまたむずかしい。ここは男女問わず。
社会の秩序や規制は人間をどこまで理性的にできるのだろうか。
空気を読み、コンプライアンスを守り、生真面目に生きていく。
本来のフェミニズムは男女平等な社会を目指すのであって、女性が強くなりすぎて男性が萎縮している風景にも少し違和感をおぼえたり。
当たり前に男女は生物学的にも違うので、どこまでも平等にはなれないけれど、足りない部分を補い合い、助け合うという気持ちがお互いに大事なんだと思う。
それは平等というよりも公平さに近い。
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ただ、男性が女性を侮辱しているような事件には目を疑うものがあるし、今もまだ蔓延っている事例を見ると心が痛い。
女性の弱さに付け込んだり、権力や立場を行使したり、モノのように扱ったり。
その振る舞いによっては、男性にとって出来心であったとしても、女性にとって長引く心の傷になることがある。
いじめた側は覚えてないけど、いじめられた側はずっと覚えているというふうに。
そこにはいろんな原因があるだろう。
子供の時からそういう世界を見てきた、社会に出ても職場がそういう環境だった、自らのいたたまれなさからくる反動、歪んだ愛情表現、もしくは貧困がもたらすものかもしれない。
それらのアウトプットとして現れる弱き女性を対象とした攻撃はあってはならないものだけど、根本を辿ればどんな問題もそういった悲しさや寂しさに起因していることは確かにあると思う。
その解決方法として、社会が変わっていくこと、社会を変えていくことはもちろん、個人としては教養(リベラルアーツ的な学び)を身につけ、余裕(心も時間もお金も)を持つことがまずできることではないだろうか。