特別な人

とても身近で立て続けに結婚した人がいた。

やっぱり籍を入れた日よりも式典や旅立ちといった儀式に立ち会うことでより実感が深くなる。

祝福はもちろん、不思議と安堵の気持ちを強く感じた。

結婚式や、結婚でさえも、その必要性が問われてる今、だからこそやる意味もそうでなくともやる意味は確かにあるなと思った。

結婚式は成人式よりも本当の意味で親元を離れるから、子供と大人の境目にふさわしい気がする。

男性なら主としての責任や覚悟がのしかかり、女性なら苗字が変わればまた新しい世界を迎えるようなもの、そんな節目は自ずとこれからの人格形成に奥行きをもたらせてくれる。

お世話になった人たちにお披露目をして、愛を誓い合う。

意味ばかりを求めてしまえば、結婚式なんてお金はかかるし、準備は大変だし、精神的にも疲れるしで、やらない方がいいかもしれないけど、こんなネットの時代だからこそ、実際に会って同じ空間で同じ時間を過ごすことに価値があることを再認識した。

今は結婚式に限らずいろんな行事や儀式が減ってきているので、そういった身体性を伴う機会の損失はこれからの社会にどんな影響を及ぼすのだろうか。

意味がないと思われてることは本当に意味がないのだろうか。

失ってはじめて気づくことや、何かを得たら何かを失うトレードオフの関係は普遍的に存在している。

目まぐるしく変わっていく時代の中で、当たり前を疑い、生産性や効率化を求めすぎず、高い視座で本当に大事なことを抽出するセンスが今必要とされている。

 

結婚は基本的に生涯を共に過ごす相手を選ぶ行為。

親でも知らないこと、素の自分をさらけ出し、本音で話せて、損得ではない関係で、無条件に味方であるというたった一人の他者であり特別な人。

これだけたくさんの人がいるのに、そんな人を一人だけ決めるというのは、よく考えるとみんなすごいことをしている。

いろんな影響を受けて考え方なんて変わっていくし、環境も時代も変わっていくし、同じ人間でい続ける方がきっとむずかしい。

それでも決まった相手を選ぶをということは、制度上の都合やメディアの煽動はおいといて、やっぱり長い人生において唯一の一大決心だ。

何を相手に求めるかは人それぞれだろう。

経済力や容姿、優しさや包容力、何が大事で何を優先すべきか。

幸せな時もあれば辛い時もある。

特別な人を決めるにも、意味を超えた先にある、うまく言葉で説明できないような、二人だけに通じ合う感覚やセンスが大事だと思う。

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