どうしても媚びが売れない

媚びるとは、自分を卑下して相手に気に入られようとする態度のこと。

少し大袈裟かもしれないけれど、社会に出れば、自分でビジネスを始めようものなら、いや学生のうちからも、世渡りをするためには少なからず身につけるべきスキルだと思う。

媚びるまではいかないまでも、場の空気を読んだり、周りに同調したり、気が進まないことも黙ってやらないといけないシーンがある。

確固とした習わし、組織のルール、それぞれに培われた文化の土壌に適応するためには、自分の心の持ちようや考え方を随時変化させていかないといけない。

まっさらな状態の自分を貫けるほど世の中は甘くない。

 

世の中にはある一定の強さみたいなものが存在する。

いわゆる成功といった概念であり、有名だとか、人気だとか、結果を出しているとか、過去の偉人や歴史に名を残す人たちが主にお手本となっている。

こうあらねばならない、目標を持って挑戦せねばならない、人間として成長せねばならない、意識高く上昇志向で、といった風に。

ある意味であらゆるサービスがその考え方を基盤にしているといっても過言ではない。

この強さのような西洋史観に基づいた価値観は、今のグローバリズムであり資本主義社会を駆動させている。

 

いかに強くなれるか。

いかにそのグループの仲間に入れるかを競いあっている。

その過程において強い人に媚びを売るという挙動が必要になってくる。

人脈作りや相互フォローといった行動はまさにそうだろう。

大きな嘘をついてまで自分を偽ることはうまくいかないにしても、付き合いのためには多少無理をしないといけない局面も出てくる。

誰のせいでもなく社会がそういうふうにできている。

足並みを揃えないと生きづらいだけ。

 

だからといってそれがすべてではないことも確かだ。

自分らしく、ありのままで、軸をブラさずに世界観を100パーセントで表現している人たちも存在する。

あるいはナチュラルに、所与のものとして、媚びを振る舞っているかもしれないけれど。

向き不向きの問題か、もともとの性格の問題を加味するなら、どうがんばったところで強くなれない人も存在すると思う。

特に男性は強さ信仰のような社会圧を受けているのではないだろうか。

家庭を守らないといけない、いい役職につかないといけない、ビジネスで成功を収めないといけない、といったプレッシャーに子供の頃から晒されている。

歴史の授業や偉人の伝記本はどれもサクセスストーリーばかりだ。

 

弱さとは本当に人間としての欠損なのだろうか。

弱点や障害も裏を返せば強さに転換することもある。

実は弱さこそが人間の尊厳や奥行き、または美しさに依拠しているような気がしてならない。

媚びなんか売らなくても互いに認め合える社会になってほしい。

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