ほんの些細な日常

毎日に満足している人はどれくらいいるのだろう。

幸せになるために今を犠牲にして何かに我慢して生きている人の方が多いように感じる。

成功したら幸せ、結婚したら幸せ、仕事終わりが幸せ、休みの日が幸せ、というふうに、何かの結果として幸せが存在するのが一般的な認識のように思う。

未来のことも過去のことも考えずに今を楽しく幸せに生きる方が人間の本質的な営みだよね、みたいなコンテンツが巷に溢れているにもかかわらず、そう簡単に自由にさせてくれないのが現代社会の実態ではないか。

自分の人生を労働力として社会に捧げる。

商品を買って経済を回していく。

いったん立ち止まって俯瞰してみると、人のためにとか、世の中の役に立つとか、もっと世界をよくしたいとか、それはそれで崇高な目的だけど、見方を変えれば企業やメディアに欲望をコントロールされているだけかもしれない。

成長や成功することがほんとに正義なのかどうかが、ここのところ疑問に思えて仕方がない。

 

日々の暮らしを淡々と楽しむ。

他者の期待に応えることなく、自分もしくは身近な人だけの満足を追求する。

ただの労働力である仕事さえも楽しめたら言うことはない。

世界の見方を変え、執着を手放し、思い込みから離れてみる。

こういったことはおそらく誰にでもすぐにできることだけど、固執した考えを柔らかくするのは結構な思考エネルギーがいる。

それに社会人が長くなればなるほど、責任や期待がどんどん重くなり日常にもその忙しさが侵食してくる。

感性を研ぎ澄ますには周りに情報が多すぎる。

自分の人生の時間なのだから、他人からどう思われようと、誰にもコントロールされずに全力で楽しまないと。

よく見てみると日常に愛しさは溢れている。

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