エッセイ的暮らし

同じものを見ていても、その見方は人それぞれ。

音楽を聴くにも、映画を観るにも、本を読むにも、いろんなコンテンツに当てはまる。

自分の人生を捉えることでさえも。

結局、人それぞれというのは、それぞれに何が大切で何を優先にしているかだと思う。

それは何が好きかにも似ている。

 

料理を仕事にしていると、どこか外食するにしても、そのお店の世界観作りやサービスの質、客席数や回転率や客単価をついつい優先して見てしまう。

たとえそれが勉強のための外食でないにしてもだ。

またあらゆる物事の構成や構造や仕組み、みたいなものに目がいくのは、ビジネス視点で世界を見ていると言っていいかもしれない。

純粋な気持ちで食事を楽しむことからはほど遠くなってしまったけど、最近は少しその純粋さを、とある理由で取り戻せているような気もする。

 

大雑把にいうとそのようなビジネス的視点は男性に多いのではないだろうか。

男性は強さの象徴である成功や権威や名声が大好きだから。

一方でバリバリ経営している女性も中にはいるけれど、大半の女性は日々の暮らしや何気ないことを(ある意味で大袈裟に)楽しむことができる印象を持っている。

エッセイストと聞くと女性の名前ばかりが思い浮かぶし、エッセイとはまさに小さな出来事をおもしろおかしく、時には真面目に読者の心を惹きつける。

男性の視点をビジネス的、女性の視点をエッセイ的、と大きく分類するのはあながち間違ってないような気がする。

 

当たり前に世界中の大多数の人が、ふつうの一般人だ。

メディアに出たり成功する人はほんのひと握り、にもかかわらず、世の中は競争社会でどこかビジネスビジネスしている風に見えてしまう。

何気ない毎日を、小さな出来事を、(ある意味で大袈裟に)楽しめる方が、ずっと人生が豊かなのではないだろうか。

それは自分の見方次第で今すぐ手に入るもの。

今あるものに目を向け、身の丈に合う暮らしを。

一回ちゃんとがんばってみたからこそ、その気づきが大きい。

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