お金なんてあればあるほどいい。
多分みんながそう思っている。
十分なくらい稼いでいる人でも不思議ともっと欲しがる。
時には悪いことをしてまで。
よく聞くのが、収入が上がれば生活レベルも上がって、結果的にさらに欲しがりずっと満たされない状態になるということ。
ふつうに生きていくのに、一定の水準以上のお金はそこまでいらないはずなのに、もっと欲しがるのは本当に不思議な現象だ。
人間の欲望はどこまでも計り知れない。
お金を使って、よりいいものに触れて、よりいい体験をして、よりいい出会いをして、人生を豊かに彩っていく、という発想は、その思考回路は、すでにこの資本主義システムにどっぷり浸っている。
ある意味でそう信じ込んでいることは宗教とそんなに変わらない。
豊かさや幸せは明らかにお金がすべてではない。
そうわかっていてもやっぱりみんなお金が好きなこともまた不思議なこと。
時間もあればあるほどいい。
これも多分みんながそう思っている。
現代人はなおさら時間がないないと忙しい日々に追われている。
ただお金より実質的に時間は有限なので、いかに生産性を高めるかが勝負どころ。
なのに本当に大事なことを犠牲にしてまでお金を稼ぐための時間に費やす。
これだけ便利な世の中になっているにもかかわらず、時間が足りないことも不思議な現象だ。
余った時間でのんびり過ごすわけでもなく、他の何かでまたその時間を埋めたくなる。
学校の宿題にせよ、仕事の課題にせよ、人生の計画にせよ、ギリギリで仕上げる人が多いのは、人間の煩悩が示す宿命なのかもしれない。
だから時間がどれだけあっても結局足りないようにできているのは、お金についてとそう変わらない。
この先、ぜーんぶコンピュータが人間のやることを代わりにやってくれても、多分時間がないないと言ってることだろう。
時間もお金もあればあるほどいい、ということはお金も時間も性質が似ているということ。
お金が人間の作り出した虚構であるように、時間もまた同じように言える。
万物に等しく物理的に同じ時間が流れているように思うのは、そう思い込んでいるのは、時計の発明を含む資本主義システムによるもの。
にわかに信じがたいことだけど、それくらい脳の芯まで今のシステムが染み込んでいるからに違いない。
じゃあどうすればいいか。
世の中は競争にまみれているから、まずはそこから距離を置いてみる。
そして各々が自分の身の丈に合ったお金の必要量、時間の必要量をしっかりと認識することだと思う。
きっとそんなにむずかしいことじゃない。