伝えたいという気持ち

誰しも独立や起業のタイミングで、その事業の意義や目的を宣言する。

自分が描く未来を迎えたい。

みんなが困っているあの問題を解決したい。

役に立ちたい。貢献したい。救いたい。助けたい。

社会に対して、対象に対して、事物に対してもっとこうなってほしいと想像する。

それは人間にとってのとても尊い感情だと思う。

当然、生半可な熱量ではできないし、難易度も高いし、誰にでもできることではない。

勇気、不安、覚悟、恐怖、自信、周囲の目、いろんな感情を上下させながら自分の決心の土台ををかためていく。

その動機は人それぞれでいろいろあるだろう。

承認欲求のため、モテるため、お金のため、自分を変えたいため、過去の体験からくるもの。

動機は自分の本質的な欲求なので、対外的な意義や目的とは少しニュアンスが違うような気がする。

中でも伝えたいという気持ちは、欲求だろうか、意義だろうか。

たとえば、ある事象に対して、まだそれを知らない人に知ってほしい、その魅力を届けたい、というふうに、その先のもっとよくなる未来を提案するようなサービスや声がよくある。

海外の現地で食べた料理の美味しさを日本で開業して日本人にも伝えたいというふうに。

きっかけはなんであれ、伝えたいという気持ちはある意味でおせっかいだ。

別に消費者が求めてもないことを必死に熱弁する。

でも心が動いたからこそそう思うのであって、戦略的に建前で言えるものでもない。

自分がいいと思ったものを誰かに伝えたい、知ってほしい、届けたい。

よく考えてみると普段の会話はそんなおせっかいで溢れている。

この映画がよかった、このお店が美味しかったというふうに。

つまり伝えたいという気持ちは他者と共有、共感、共鳴したいが目的にあるので、人間という生きものの本能に根差した欲求なのかもしれない。

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