書けないとき

文章って不思議と一定期間書けないときがある。

単純に書く時間を確保できないこともあるけれど、それはやっぱり言い訳で、よくスランプという言葉があるように、精神的な状態が左右しているように思う。

本を読むこともそうだけど、文章を書くことも、身の回りの環境をしっかり整えないとどうも集中ができない。

心地のいい気温に落ち着ける机や椅子、一緒にコーヒーやおやつも欲しくなるし、静かすぎても賑やかすぎてもよくないし、なにより心に余裕がないと思考があちらこちらに行き来してしまう。

本でも小説なら空いた短い時間でも読めるけど、学ぶ系の本はどっぷり集中して読みたい。

文章は環境が整っていてもテーマが決まらないとなかなか捗らないし、そのテーマは日々のルーティンをこなしているだけでは、これというのがパッと出てこない。

日常に変化があること、新しい気づきがあること、積極的に情報を取りに行ってこそ思考の木は実を結ぶ。

普段からの問題意識、世界への違和感、研ぎ澄ます感覚、成長欲や向上心を持っていることや、もっと言えば不安や不満や憤りなど負の感情を心に抱えていることで、いろんなアイデアが結合して新しい発見につながる。

それが見つからないということは、ある意味で平和ボケしているのかもしれない。

平和ならそれで十分満足していいはずなのに、少しの不自由さと何かへの渇望を自分の中に抱えていてはじめてちょうどいいバランスかもと思えてくる。

とはいえ、本を読むことも、文章を書くことも、別にしなくたって誰にも咎められない。

読むことも書くこともしていない人なんていっぱいいる。

この時代、他にもおもしろいコンテンツは溢れている。

刺激的で、魅惑的で、快楽的なコンテンツが気軽に早く、すぐ手ひらサイズの機械の中に。

でもそんな心地のよい波に揺られていたら何かが気づかないうちに失われているような気がしてならない。

作り手が人間の行動心理をハックするよう巧妙に仕掛けた罠に知らず知らずのうちにかかっている獲物かのように。

人は誰かや何かの影響を受けずにはいられない生きものだけれど、そもそも自由意志なんて存在しないと言われているけれど、それでも自分で選択した実感を持つためには、おもしろいコンテンツに流されすぎるのではなく、読み書きのように自分の頭でしっかり考えて、地に足をつけて歩いている感覚を意識して保つことが大事だと思う。

読み書きができる環境を作れるくらい心に余裕を持つことと、少しくらいは自分の欲望にもっと正直になっていいのかもしれない。

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