ハンナアーレントの全体主義の起源を少し勉強した。
大きな括りとしての戦争が興味深いのは人間の業が詰まっているからだろうか。
時代の必然とも言える戦争は、だれかが止めれるものではなく、過去にそれが非道だと学んでいるはずの現代においても、その仕組みを考えると、いつ起こってもおかしくないと思えてくる。
不安や恐怖の状態にあるとき、人はだれだってや何かに縋りたくなる。
そんなときに救いの手を差し伸べてくれる人が現れたら。
怪しい宗教や、セールスや勧誘や、失恋の後のときめきなど、心にぽっかり空いてしまった穴を埋めたくなる事象は日常にも溢れている。
第二次世界大戦のドイツの背景には、敗戦からの屈辱、経済状況、国民国家の形成途上、他にもいろんな諸条件が運悪く重なり、国民が一人のカリスマに救いを求めた。
まだ情報が行き渡らない時代に、スピーチひとつで人々の不安感情を煽り、見事にプロパガンダが有効にはたらいた。
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現代は情報も隅々まで行き渡り個人の時代と言われているけれど、世界を俯瞰して見るならば、それぞれの国独自の文化や慣習があるように全体主義の形成は避けて通れない。
好んで摂取する情報ばかりが手元に流れるので同じ思想の人が集まりやすい。
むしろインターネット上の真実かどうかわからない偏った情報を鵜呑みにしている現代の方が危険だと言われてたりもする。
今は緊急事態ではないものの、有事になったときに頼れるヒーローが現れたら拡散力は半端ないだろう。
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人はだれしもオリジナルではなく観て触れてきた何かの影響を受けている。
メディアや権威の影響力は計り知れない。
音楽、映画、本、ドラマなど、人々を楽しませるためのエンターテイメントも、発信者のメッセージが多分に含まれていて、そこにはいいことも悪いことも少なからず意図が存在している。
エンタメを使った煽動だってじゅうぶんにあり得て、まさに推し活現象はある意味で陶酔させられている。
今は検索が容易になり、メディアに流されるまま、自分の頭で考えることをしなくなっていると危惧されている。
恐怖や不安でなくとも、何も考えなくなったら相手の意のままに陥ることがある。
他者の視点に立ち、想像し思いやり、楽に流されず、自分の頭で考えること。
ハンナアーレントのメッセージが現代にこそ活きている。


