推しと物語

人は寂しさや不安、恐怖を抱えているとき、何かの対象に救いを求め縋りたくなる。

ぽっかり空いた心の穴をその対象で埋めたくなる。

浮気や不倫、怪しい新興宗教、独裁政治、だいたいそれらが起こる心理的なメカニズムは構造が似ていると思う。

今では当たり前に聞くようになった(本来の意味から飛躍しすぎているような)“推し”という概念も、その構造と同じように感じてしまう。

極端ではあるけれど、生きづらいとされる世の中で希望のない全体の空気感が、今の推し文化を作ってるのではないだろうか。

その空気感に便乗するようにエンタメ業界は巧妙な演出で仕掛けてくる。

何かにハマりやすい気質の人ならなおさら。

搾取する側と搾取される側。

資本主義が行き着いた消費者の可処分所得と可処分時間の奪い合い。

穴を埋めるために救いを求め心の拠り所にする様子はある意味で広義の意味での宗教とそう変わりない。

本来、好きな対象に夢中になることは、誰か何かを仕掛けられなくとも自然発生してすでに没入しているはず。

気づいたら時間を忘れるくらいに続けていること。

周りが見えなくなるくらい集中していること。

仕事も趣味も恋愛も理想的にはナチュラルに没入できる方が幸せだと思う。

とはいえ、その対象がどこまで意図的に作られたものかの判断はむずかしいけれど、溢れている情報やわかりやすい数字や周りの影響から受け取っているものは意外と多い。

仕事なら収入、趣味なら高額、恋愛ならステータス。

それくらいこの世界は誰かの思惑でできている。

結局のところ、大昔から神話や宗教が人々の身近にあるように救いの対象と共に生きることは必然だとも言える。

それが“物語”に他ならない。

それは必ずしも真実でなくてよくて、むしろ虚構であるからこそ感情を動かされて面白く楽しめる。

そしてその物語をだれかと共有することで連帯感も生まれる。

人間が生きていく上でなくてはならない存在。

物語が救いそのものなのかもしれない。

それが意図的ではないにせよ少なからず神話にせよ宗教にせよ流行にせよ物語を作っている人がいる、ということはたしかだ。

所詮、人間は人間が作った世界の中でしか生きられない。

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