心のあつかい

どんなに心がしんどくても自発的に専門のカウンセリングに行こうとはあんまり思えない。最終手段として立ちはだかっているようなイメージで、効果があるかどうかも不確かで、しかも有料であることに抵抗があったりする。ちょっとした相談なら身近な人に無料でできる。

でも心や精神の問題は身体の病気と違って論理で通用するような答えはないし、傷や痛みが目に見えないものだけにより専門性の高い技術が求められる。本書で実際のカウンセリングの事例を読んでいると、自分の頭で考えただけでは到底辿り着けない無意識下や深層心理が専門家のカウンセリングよって顕になったとき、それがとても重要であることを思い知らされた。心や精神の問題はひとつの直接的な原因ではなく、過去のトラウマ、家族関係、世界の見方、物事の捉え方、本来の性質など、いろんな因子が複雑に絡まり合って表面化している。それにすぐに解決できる特効薬がないので、時間をかけて対話を重ねないといけない。そこで見えてくる謎解きの答えのようなものは、わかってしまえば明快でありながらもカウンセリングの領域でしか導き出せないものだと思った。

現代は特に鬱という言葉をはじめ心を病んでいる人が多い印象がある。世代別での価値観の不一致、家族関係の不和、社会や仕事でのストレス、たしかにある程度の生存が確保されていて、なまぬるく平和ボケしてしまった現代人はハングリー精神や生きる活力を失ったのかもしれないけれど、それはそれでそういう時代の変化なのだから受け入れないといけないにしても、心が壊れてしまっては人間の存在理由さえ危うくなってしまう。生きづらいと呼ばれる時代において唯一の救いになるのがカウンセリングではないかと思えた。

生身の人間が顔を突き合わせて対話する。話を聞いてもらうにしても自己開示するにはまずは信頼関係がないといけない。信頼を構築するにも今は言ってはいけないことが多すぎて人と人との距離感がどんどん離れて言っているような気がする。時間をかけて自分を曝け出し深い深い心の探究をして見えてくるもの。普段は忙しくて自分と向き合う時間がない中で蓋をしているものは、むしろ怖くて見たくないから忙しくしているかもしれない。幸せそうにしている人や成功している人でも、みんな等しく何かしらの心には闇を抱えているように思う。本音と建前、本音だけで生きていくにはむずかしすぎる世の中で、仕方なく建前を着飾ってみては心の乖離が広がるばかり。ストレス発散という対処療法ではなく、根本的な解決がしたいのならばまずは心を整えないといけない。

心が変化するということ。それには勇気が伴う。結局のところカウンセリングを受けたとしても最終的に変わるのは当事者の主体的な行動に他ならない。カウンセリングでいかに促すか。それは一緒についていく覚悟だと言う。ときに何もせずただ相手を待つ。心のあつかいは簡単なようでとてもむずかしい。

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