目利きと本当にいいもの

最近、カフェをする傍らで古本屋を始めてみたけれど、何を隠そう、現役の書店員としても働いている。

いろんなタイトルの本をたくさん見ていていつも思うのは、人気の本や名作の本が結局は偏って売れているということ。

人気がさらに人気を呼ぶ、はある意味で真理だと思っていて、みんながいいと言っているならいいに違いない、売れているからおもしろいに違いない、といったふうに、自分で一から考えて選ぶことをせず認知バイアスのせいか大衆の信頼が物事の価値を決めている節がある。

情報が多すぎる時代だからこそハズレを引きたくないと、おもしろさが担保できている人気作品を選ぶという意見も納得できる。

そのことを助長するように、仕掛ける側も売上のために巧みなマーケティングで人間の心理をハックしようとしてくる現実もあるだろう。

自分で選んでると思いきや選ばされている。

それは本に限ったことだけでなく消費活動すべてにおいて避けられない人間の自由意思とは何かの問題に突き当たる。

いいものとはなにか。

人気だからいいもの、の他にも、高いからいいもの、希少だからいいもの、好きな人がそう言ってる信頼から生まれるいいもの、のように誰かによって作られたものもあれば、思い出エピソードのつまったいいものや、愛着のあるいいもの、というように個人から発生するものもある。

個人的なものは自然発生するのに対し、作られたものはやはりどこか作為性が含まれている。

それでも本でいえば人気作品を読んでおもしろいと思ったとき、してやられた感は否めないけれど騙されているとは思わない。

純粋におもしろいと思えたということは、作者がお客様に対して心底エネルギーを注いで楽しんでもらいたいが込められた気持ちの現れでもある。

だとしたら、本当にいいものとは、作り手の情熱の度合いと言えるのかもしれない。

もちろん仕掛けによって生まれるいいものも世の中には溢れている。

作り手と自分の相性だってある。

出会うタイミングだってある。

本当にいいものとの出会いは人生の豊さとも相関するのかもしれない。

そこで欠かせないのが“目利き”という技術だ。

調べれば、ものの価値を正しく見分ける能力で経験にも裏打ちされる、とある。

食で言えば食材の目利き。

美味しい料理を提供する上で、目利きの技術は欠かせない。

いい食材はほんの少し手を加えるだけで美味しい。

料理本に書いてあるような魚は目が澄んでいる方がいいなど食材の目印やサインはある程度言語化されているものの、たしかに経験でわかる感覚的な直感でいいものだと見分けれることがあったりする。

感覚を言葉にするのはむずかしい。

結局のところ目利きとは、何か物事に触れたときにしっかりと自分の頭で考えて検証して、自分に相応しいかどうかを見極め、違うなら次に活かすという試行錯誤のプロセスの集大成ではないだろうか。

目利きはもの選びだけでなく、人生の選択にもどこか似ている。

仕事やパートナーの相応しい選択、どんな場所でどんな暮らしをしていきたいか。

誰かに選ばされたのではなく、自分で選んだ実感は伴っていたい。

美味しい料理は調理をしなくてもすでに美味しいのだから。

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