噂というエンタメ

最近話題の文芸書がおもしろそうなのばかりでついつい読んでしまう。

文学はフィクションと言えども、登場人物への共感や投影はもちろんのこと、ある分野においては時代や世相を的確に表していたり、まだ言語化できていない感情に納得したりと、物語を通して得られる気づきや感心がとても多くておもしろい。

読書に限らずエンタメに触れたときに「おもしろかった」という曖昧な感想をみんながよく使うことに中身のない感想だなあといつも思っていたけれど、それはきっと言葉にできないくらいの驚きや発見があったからなのかもしれない。

それにしても、おもしろい、は便利な表現だ。

SNSが盛んになったことで承認欲求という言葉をよく聞くようになった。

自分の存在を認めてもらう欲望。あってしかり。

そのために人間が生きているといってもいいくらい大きな欲望のひとつだ。

それがテクノロジーの進化で気軽に手に入るようになった。

発信したり、誰かにアクションをしたり、コメントやメッセージを残したり。

どんな形であれ相手の反応そのものがある意味で承認されたい欲求を満たしてしまう怖さを孕んでいるところが、インターネット社会の現在地のように思う。

拍車をかけるようにテック企業が巧みに一般人に参加や賛同を促し、一般人も能動的に承認欲しさに夢中になっていく。

噂もその承認欲求を満たすための道具のひとつであることを本書で気づかされた。

そもそも噂はテクノロジーが進化する前の昔からある情報の連絡網だ。

よく田舎では噂ばなしの広まるのが早いと聞く。

自分だけが知っているという優越感と誰かに話したときの満足感は、まさに承認欲求の有り様にとても似ている。

事実はどうであれそのネットワークに所属していることが重要なのだろう。

もし間違っていたとしても知らんぷりをすればわからないのは、インターネット上の匿名性とそう変わりがない。

そんなよくできた仕組みが、噂で誤解を生み、知らずに誰かを傷つけてしまうこともあるから現代社会と照らし合わせて考えるとより痛感する。

SNSと相性のいい今の噂は、参加型のエンターテイメントにもなっている。

ちょっとしたニュースにも一般人が参加できる気軽さは楽しいからに違いない。

行った場所や買った商品にレビューを残すのも同じように言えるのではないだろうか。

それを見た人が誰かの意見を参考にしてまた参加していく。

人を巻き込んでいく楽しさがあるのはエンタメそのものだ。

利用者を魅了して、没入させて、楽しませて、おもしろがらせる。

無意識に、無自覚に、気づいたら参加している。

エンタメはある意味で社会にとって何かよくない方向へ加担させるエネルギーも孕んでいる気がする。

だから薄っぺらい感想ではなくて、「何が」おもしろかったのかをちゃんと考える必要があると思うのだ。

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