言葉は相手との意思疎通を図る上で便利な道具だ。
言葉が発明されたからこそ人類も文明も発展してきた。
自分の気持ちを相手に伝える。
相手の気持ちも同時に受け取る。
考えを共有し、互いに協力して、ビジョンを掲げ、目的を達成する。
人間にとって社会を形成していく上で言葉は欠かせないもの。
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現代は特に言語化が大事だとビジネス界隈ではもてはやされている。
テクノロジー技術によって生まれたSNS、YouTube、ポッドキャストなどツールを巧みに使いこなすには、大衆がモヤモヤしていることをうまく言語化することで、納得や共感を生み賛同して認知が広がっていく。
喋りも文章も言語化がうまいと今の時代、得をする。
練習することで上達できる伸びしろもある一方で、個人的には生まれ持ったセンスによるところが大きいようにも思う。
一方で、言語化がうまくない人が損をすると言いたいわけではないけれど、この社会で生きていくのに少しばかり不利なのは否めない。
なぜならこの資本主義社会でお客様へのアピールや組織をまとめるには言語化スキルが必要だから。
でも言語化が苦手な分、あらゆる感覚器官が発達しているのでは、という仮説を持っている。
感じる心、直感力、察すること、ビビッとくる感じ、好きなものを好き以上に表現できない感じ、どれも曖昧な“感じ”ばかりでこの文章にさえ上手に言語化できないようなものたち。
対人関係でいうと、波長が合う、気が合う、阿吽の呼吸、同時に同じことを考えてたシンクロニシティ、アイコンタクト、みたいな感覚のこと。
これらは言語化の対義語ではないけれど身体的感覚と言えるだろう。
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何も言葉だけが相手との意思疎通のための道具とは限らない。
身体的感覚も大事な要素であることは言うまでもない。
スキンシップで伝わること、外国で言葉が通じなくてもジャスチャーだけで伝わることがいい例だ。
むしろ職業によっては身体的感覚が優れている人に有利な仕事もあるだろう。
この時代に蔑ろにされがちな身体的感覚の重要性にあらためて気づいたのは、動物とのコミュニケーションを考えたときだった。
犬や猫、イルカのような人になつくような動物は言葉を介さなくても自分の気持ちを行動で伝えてくれる。
そこには欺瞞の気持ちはいっさいなく、まっすぐでピュアな愛情表現であることに人間は疑いもしない。
言葉は本当に思っていなくても口にすることができる。
身体は本当に思っていなくても表現できるだろうか。
コミュニケーションや愛情表現の本質とは、言葉ではなく身体的感覚でしか伝えられないのかもしれない。


