食事のアフォーダンス

人間は意志があるようで、思いのほか環境に依存している。
この夏の暑さがいい例だ。
暑いときに温かい料理を食べようとはあまり思えない。
冷たくて、喉越しがよくて、さっぱりしたものが恋しくなる。
なにより外に出る気力も湧かないので、この時期はショッピングモール以外のお店は、飲食店に限らず静かになる。
人の行動様式は環境にはなかなか逆らえないものらしい。

心理学に「アフォーダンス」という考え方がある。
簡単に言うと「環境そのものが、私たちに『こうしてほしい』とそっと働きかけている」という話だ。
取っ手のついたコップは「持ってね」と誘い、椅子は「座ってね」と誘う。
同じように、真夏の空気やうだるような気温は、私たちに「冷たいものを食べてね」と静かに語りかけている。
そう考えると、私たちが「今日は冷やし中華の気分」と思うとき、それは自分ひとりの意志というより、季節と自分との間で交わされた、ささやかな対話のようなものなのかもしれない。
街で冷たい麺の幟がいっせいに立つのも、コンビニにそうめんが並ぶのも、誰かが号令をかけたわけではなく、気温というひとつの環境に、みんながそれぞれ静かに応えているだけなのだと思う。

お店側も同じで、冷たい麺や冷えた飲み物を用意するのは、店主の工夫であると同時に、環境からの呼びかけに耳を澄ませた結果でもある。
厨房に立つ人は、天気予報を見たり気温を肌で感じて、日々の料理の方向性を細かく調整している。
それは決して受け身の作業ではなく、むしろ環境の声を丁寧に聞き取る、繊細な仕事だと思う。メニューという最終的な形を選んでいるのは店主だけれど、その選択の方向性を静かに後押ししているのは、紛れもなく季節そのもの。

冬になればまた、鍋の湯気が恋しくなり、温かい店に自然と足が向く。
このお店を選んだと思っているけれど、実際にはもう少し手前で、気温や体感がそっと合図を出していて、私たちはその合図に、後からついていっているだけなのかもしれない。
意志が先にあって行動が生まれるというより、環境が用意した誘いに、体がまず反応し、意志はそれをあとから言葉にして「自分で選んだ」という形に整えている、という順番の方が近いのだと思う。

そう考えると、食事とは自分の内側だけで完結する意志の表明ではなく、季節や気温、お店の湯気や匂いといった環境と、その都度交わしている静かな対話のようなもの。私たちは毎日、何かを選んでいるようでいて、実は環境からの小さな呼びかけに、丁寧に耳を澄ませながら応えている。

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