食に携わる人たち


あらためて食について考えたとき、それは空気と同じくらい当たり前に享受しているものであることに気づく(当たり前になりすぎて忘れていることは、他にも多々あるけれど)。
「いただきます」という言葉は、命をいただく感謝の気持ちだと、自然系界隈の人たちはきれいごとのように言うけれど、今の時代を鑑みるに何に感謝しないといけないかをより深く考えてみると、見えてくる景色は少し変わってくるような気がした。

たしかに人間は生きものの命をいただくことに毎度のように感謝するべきだし、添加物の入った食品より有機や無農薬で身体にいいものを摂取するべきだし、地産地消を意識したり、サステナブルやエシカルやスローフードなどの言葉の意味も本当は考えないといけないけれど、全人類の意識が変わって食に関心を寄せても、そういった類のことは得てして時間のかかることなので、きっと供給が追いつかない。
それに経済的余裕や、教養の有無や、食に対する関心の高さがないと、(もちろん身体によくないことだとわかっていても)なかなか食べることは他のことより優先されにくい。
忙しくなった時代に優先されるのは、早さや便利さや楽さや効率であって、わざわざ高騰している食品にお金を使い、ゆっくりと食べる時間を確保する方がもはやむずかしい。
それらを助長するように、便利な食品や調理グッズが追い討ちをかけてくる。
個人の意識がどうこうより時代の雰囲気がそのように変化しているのだから、そう簡単には抗えない。

世界中の何億人という人たちが毎日何かを食べているのだから、その量は計り知れない。
殺めている命はもちろんのこと、目の前にある食品がたどってきた経路を想像すると、そこに携わっている人たちの労働の量もまた計り知れない。
第一次産業と言われる生産者にはじまり、それらを下処理する人たち、袋詰めして出荷できるように梱包する人たち、トラックで運ぶ人たち、市場や倉庫で管理する人たち、フォークリフトで作業する人たち、行き先の仕分けをする人たち、それをまたトラックで各店舗で運ぶ人たち、コンビニやスーパーで品出しする人たち、販売する人たち。
食に関することだけでも実にたくさんの人たちの労働によって、たくさんの人たちの食がまかなわれている。
地道で単純作業で退屈で頭を使わなくてもできる仕事かもしれないけれど、環境だけが悪くて、それしかできない人たちや生活のために働いてる人たちのことを考えると、いま手にしている食品の背景にいる人たちを決して無下にはできない。
きれいごとだけでは通用しない世界の方が、実は多くの人たちを支えている事実。
感謝の気持ちは命だけではなく、携わっている人たちの働きにも生まれていいと思う。

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