心の格差

格差社会と言われて久しい。

富めるものがより富み、貧しきものがより貧しくなる。

なぜそうなっていくのかというと、今の社会システムがそういう仕組みになっているから仕方ないと言えば仕方ない。

生産性の向上、利益史上主義、人間の欲望の刺激、まだ見ぬ世界への探究心、この社会システムはスマートで豊かになっているようで、格差の問題しかり、実は表に現れない弱者たちが犠牲になっているもとに築き上げられた世界のようにも見える。

わかりやすい格差はお金で、いい収入であればあるほど子供にいい教育を与える機会が増え、より優秀になっていく。

反対にお金がないといい教育を受けられないので、いい仕事にもありつけない。

結局のところお金はあればあるほど人生の選択肢を増やしてくれる。

なんにでも挑戦できる機会が増え、その中でトライアンドエラーを繰り返し、自信が形成され失敗を糧に成長していく。

お金がなければ挑戦する機会すら与えられず、自分に自信が持てず選択肢も限られてくる。

そんな人たちに忍び寄る受け皿が、肉体労働や性風俗だったりするので余計に底辺から抜け出せなくなる。

という仕組みの社会になっている。

収入の格差はまだ可視化しやすく、なんとなくケアできるというか救いようがあるし、なんとか助けようとその世界線で奮闘している人たちがたくさんいる。

今は特に利益の追求よりも社会問題を解決しようという理念で若い世代が動いている。

でも心の面で格差を捉えるとどうだろう。

多様性という言葉の流行は、相手の意見を尊重する一方で、話し合って理解する機会が減り、意見してもどうせ人それぞれと済まされることで、より孤立していくのではないか。

コンプライアンスが厳しくなっているのは、優しさや思いやりと捉えられる一方で、互いに深いところまで踏み込めずに、薄い人間関係だけが広く浅くなっていくことで、より孤立していくのではないか。

だから本当にしんどくて辛い時に、一人で抱え込んで周りに助けを求めることができなくなってしまう。

心は見えない部分だけに、その格差がじわじわと広がっていることがとても危ういことだと思う。

ある意味で心の病名が付いている方がましかもしれない。

本当に一人ぼっちな人は、見た目には健常者で普段は“ふつう”な装いをしているから。

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