死は存在しないと言われても、すんなりと理解できる人はそういない。
死は極めて身近に直面してこそ考え始める問題であり、死が存在しないと思うのは願望でもある。
当然故人とはもう会えないし、話すこともできないし、抱きしめることもできない。
それでも今までに刷り込まれた思い込みを一度解放してみると、意外にも死についての固定観念が揺らいでくる。
この本は願望を入り口に、希望すら与えてくれる、論理的に説明された良書だった。
現代の科学では脳と肉体の死は“無”になるとされている。
それが当たり前のように聞こえるのは、多くに人が“科学”をベースに物事を考えてるからに他ならない。
この世の中で起こる事象で絶対に科学が正しいとか、数式が正しいとは必ずしも言い切れない。
今の科学でも未だ解明されていない領域、直感、予知、デジャブ、夢、占い、シンクロニシティなど、が存在することは、きっと誰しもが身近で体験し認識しているはず。
幸運な出来事、導かれている感じ、恋愛における運命論、晴れ女雨男みたいな言説がるように。
そういった類いのことを説明してくれるのが、物理学に含まれる量子力学という分野だ。
想いが通じるとか、料理は愛情であるとか、目には見えない波動のようなものを取り扱っている。
広く言えば、宇宙の成り立ちや過去や未来でもない時間さえも超越するようなスケールの大きさで語りかけてくる。
その視点に立ったとき、死とは何かがまた違う景色で見えてくる。
肉体こそないもののどこかで時間軸を行き来しながらも存在しているような感じ。
所詮三次元の世界にしか存在していない人間がちっぽけなものにも思えてくる。
科学の時代の前は“宗教”が物事を考えるベースだった。
神や仏がどうこうより、天国や涅槃といった死後の世界を用意している点で科学とは大きく違う。
それは科学で説明は不可能だけど、救い、祈り、律する精神、他者に優しくすること、は心の大きな拠り所になるのではないだろうか。
自己利益とかコスパとかタイパではない尺度で物事を見ることの大切さを教えてくれているような気がする。
宗教から科学の時代に変わり、人は忙しくなり、文字通り心を亡くしてしまったのかもしれない。
だからと言って宗教を薦めているのではなく、どちらの視点にも立てるぼくたちは今、量子力学含め次の新しい価値観ベースをインストールしていくタイミングなんだと思う。
それは世界の見方、解釈の問題かもしれないけれど、人間が人間らしくいれて、死さえも故人と共存できるような考え方が唯一の救いにもなる。
人間(ホモサピエンス)は何かの“物語”を信じずには生きられない生きものなのだから。


