共感するための口実

常々、お店とは人と人が出会うコミュニケーションの場であり、その口実に過ぎないと思っているけど、あらゆる物事がそうじゃないのかと思えてきた。

誰かと話したい共感したいという欲求は、男女差こそあれ人間という種族に根差した本能であることは恐らく長い年月変わっていないと推測する。

例えば、仲良くなりたい人がいたとして(仲良くなりたいかは問題ではない)、話がしたいときに直接話したいと伝えるよりも、美味しい食事でも一緒に食べませんか、と誘う方が自然な感じがする。

目的は話をすることでも間に何か口実のある方がきっかけを作りやすいのではないか。

それは自分の無防備な恥ずかしさや警戒心を守るために備わった能力なのかもしれない。

ただ話すより何かのきっかけを通して話がはじまっていく。

好きなものや趣味、性格や特技、各個人についているタグのすべては誰かと共感するために作られた口実だと捉えると人間が愛らしいものに思えてくる。

好きなブランド、好きなアーティスト、好きなお店、好きな本。

血液型、星座、地元、家族構成、仕事の業種、文化、思想。

たくさんの人がいて細分化されたパーソナルだからこそ、共通項がある人と出会えたとき親近感がわき嬉しくなる。

いろんな商品を作ったり、新しい技術を作ったり、その共通項を生み出すことがたとえなんとか主義になろうとも、お金儲けが魂胆であろうとも、根っこの根っこまで辿ると人間の本質はみんな共同体でいたいと願っているのではないのだろうか、という綺麗事を言ってみる。

争いも喧嘩も互いがわかりあいたいという気持ちから生まれていたりするから。

わかりあえない人にわかってもらう努力をするよりも、わかってくれる人と共感し合える環境を作っていく方が健全だと思う。

共通項のある人とつながること、共感することが人間の本質だから。

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