基準はおもしろいかどうか

合理的な選択はある程度望む結果が見えている。

しっかりとした手順を踏んで進んでいくこと。

いい大学に入って、いい企業に就職をして、もしくは起業して大きくして、幸せな家庭を築いて、余生を楽しむ。

そんなライフプランは合理的だけど、少なからずこれからの時代に通用するとは思えない。

でもみんなが理想とする人生の勝ちパターンであるようにも思う。

すでに結果のわかっていることはおもしろくない。

自分の人生設計があらかじめ決まっていたらおもしろいだろうか。

いつ運命の人に出会って、いつ結婚して、いつ死ぬか。

わかっていたら安心は得られるかもしれないけれど、きっと人生はおもしろくない。

わからないからこそおもしろい、にはみんな共感してもらえると思う。

にもかかわらず、できるだけ無難な道を選ぶという矛盾を抱えている。

そもそも“おもしろい”という表現は、お笑い的なおもしろさだけではなく、心が惹かれること、ワクワクすること、の意味も包摂している。

挑戦する、という言葉はどこか暑苦しいけれど、見たことのない景色を見てみたい、知らないことを知りたい、という欲求は人間の本能のようでもある。

社会はおもしろくないことを望んでいる。

みんなが新しいことに挑戦していたら社会はきっとうまく回らない。

そこへの感謝はしつつも、自分はやっぱりおもしろいことをやってみたい。やっていたい。

うまくいかないことばかりだけど、喜怒哀楽、心を動かし変化のある人生の方が生きてるって感じがする。

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