一人でも楽しめる時代の人間関係

友達は多い方がいいと親に言われて育ってきた。

親になっても相方はそういう考え方だった。

でも友達という定義の曖昧さと距離感のむずかしさに、その意味は今でもよくわからないでいる。

どことなく親しさや心のつながりが含まれているけど、相手も同じ気持ちかどうか確認する儀式もないし、気軽に自分だけ使うのは少々おこがましい。 

なので友達という言葉はあまり使わない。

当てはまりそうな人でも、知り合い、知人、と呼ぶことが多い。

友達という概念も昔とは大きく変わったように思う。

なんといっても今は誰かと一緒に何かをしなくても一人でも楽しめるコンテンツに溢れている。

実際に会ったこともない人とオンラインでつながり友達と呼び合うこともあるだろう。

ましてやSNSのフォロワーみたいに表面的な関係性だって友達と呼べるのかもしれない。

友達をつくる意味、友達をつくる必要性、友達とは何か。

今は人間関係の距離感がすごくぼんやりしていて、一緒に遊ぶ友達以外にも、職場や子供を通しての関係や親子関係など、さまざまな人と人との関係性がどこかフラットでありながら、深い部分には踏み込まず少し距離はしっかり取っていて、実のところ寂しさを抱えている、なんて印象を受ける。

一人でも楽しめる時代だからこそ、他者と関係を築く難易度は確実に上がっている。

一人でも楽しめる時代とはいえ、よく言われるように人は一人では生きていけない。

公共インフラを自由に使えているのはもちろん、サービスの提供者がいてこそ楽しめていること、近しいコミュニティの何かしらの一員であることは誰しもが否めない。

結局、人生における幸福や充足感は、自己実現と同じくらい他者との交流や共感、認められたり肯定されたりすることから生まれている。

同時に全人類の多くの悩みが人間関係というくらいだから、人はめんどくさくてわがままな生きものだ。

たしかに一人でも楽めるし、一人の方が楽だし、一人の方が時間もコントロールしやすいけれど、めんどくさくて悩みながらも他者と関わっていることも人は案外楽しんでいるのかもしれない。

友達や恋人や仲間や親友みたいな概念やカテゴリー分けも人によって解釈が違うので、無理に言葉の意味の枠に当てはめようとせず、心の赴くままに一緒にいて楽しいという感覚を優先して関係を築いていけばいいと思う。

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