ものの価値はお金という指標があれど本質的には人によって感じ方が違う。
高価なものがいいものとは限らないし、楽しい思い出に値段はつけられない。
好きな分野の価値は目利きもできて理解していても、興味のない分野だとなぜそんなものにそんなお金がかかるのかまるで理解できない。
何においても価値というのは人間が作り出した虚構に過ぎないけれど、人間はその中でしか生きられないこともまた運命づけられている。
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都会の人たちはよくコンビニごはんを利用する。
新商品が早いサイクルで入れ替わってるのだろうけど、結局は定番商品に落ち着いているような棚を見て、よく飽きないのかなあと思ってしまう。
それでもカゴを持ってウロウロと優柔不断に悩んでいる姿は不思議で仕方ない。
コンビニごはんは企業努力でたしかに美味しさは進化しているのかもしれないけれど、割高であり添加物の類いは健康にもよくない。
それでも手が伸びてしまうのは、便利さもさることながら、そもそも食に興味がないからだ。
つまり価値の優先順位が仕事であり、時間であり、趣味であるからに他ならない。
仕事が忙しくてゆっくり食べる時間がない、車やバイク、美容や旅行にもお金を使いたい。
価値観の違いそれ自体には誰も咎めることはできない。
本人が自信を持ってお金も時間も食に使いたくない、病気になって早く死んでも今が楽しいならそれでいい、と言っているのなら尚更のこと。
でもでもしかし、多くの人が美味しくて健康的なごはんを食べたいと願っているにもかかわらず、仕方なく、あるいは抗いようもなく、多忙すぎる現代社会のリズムに巻き込まれていると見受けられることが由々しき問題だと思う。
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ここ最近の食材の値上がりも家計を直撃している。
ただでさえ食に関心のない人は余計にコンビニごはんやスーパーのお惣菜や冷凍食品に頼ってしまう。
食材の価値もある程度までは値段と美味しさと身体にいいが比例する。
もちろん安くて美味しいのもあるし、高くて美味しくないのもあって、そのバランスを考えた献立や目利きを養うには食に関心がないといけないけれど、量販店のスーパーではなくちょっと田舎の新鮮な季節の食材を買って、多少高くてもちょっといい調味料を使って料理をする方が幸福度が高いと感じるのは、業界人を差っ引いたとしても豊かなのではないだろうか。
人は何かを失ってはじめてその大切さに気づくもの。
みんな身体に不調をきたして食の大切さに気づけばいい。
命に直結する食の価値だけは虚構ではないのかもしれない。

