最適化は善なのか

ぼくたちの時代の飲食店の修行といえば、皿洗いや雑用、ホールスタッフからなど、料理はなかなか作らせてもらえなかった。

今では調理技術が学べるような動画が溢れているので、間口が広くなり誰でもできるようになることは省略されて、いかに技術を磨くことに時間を費やすか、つまり効率化や生産性が重視されている。

これは飲食の現場だけではなく様々な業界でも起きていることだし、文明もそちらへ向かっている。

当事者として昔の方がよかった、というつもりはなく俯瞰的に見てどのような現象なのかを考えてみたいと思う。

結論から言えば、いいこともよくないこともトレードオフの関係で、何かを得たら何かを失うということ。

そこで得たものと失ったもの、どちらが自分にとって大切で優先なのかという価値観の問題にいつも着地する。

短期で見るか、長期で見るか、その問題に時間軸を与えることでまた捉え方も変わってくる。

料理を学ぶ上で、皿洗いやホールの仕事は一見すると無駄なように思えるけど、逆にそうすることで得られるものは何だろうと考えると、全体の空気感を掴むことだと思う。

料理を作る人の段取りや手つき、視線、動線、周囲への配慮。

お客様がどのような表情で食べているか、どのような反応なのか、どのような関係性なのか。

それらは皿洗いやホールの仕事をしないとわからないから観察力が養われる。

単純作業は“ながら学習”ができるので、決して無駄なことだとは言い切れない。

今すぐには役に立たないけど、後で役に立つ。

これが長期という時間軸で物事を捉えるということ。

ぼくも皿洗いだけをすることはなかったものの、料理人生はホールスタッフから始まった。

オープンキッチンだったので、料理人の動きも見れたし、お客様の反応が見れたことは今でも大きな財産だと実感できる。

お店が目標にあるなら、料理の技術だけでなく全体の空気感を掴むことは、とっても大切なことだと思うのは、その時代に生きたからこその考え方であることもきちんと認識しているつもり。

皿洗いやホール業務のない修行だとどうなるだろう。

いきなり調理技術に特化して料理の腕を上げることは即戦力になるし、今後もチームで動いていくならきっとそれは正しい選択になると思う。

でもプロフェッショナルな料理といえど、相手にはお客様がいるので過信しすぎてぞんざいな態度になってしまっては本末転倒だ。

自分でお店を持つとなった時に人の気持ちがわからない人になってしまう。

短期で見たらよいことも長期で見たら失っていることが、飲食に限ったことではなくいろんな事象に対しても当てはまると思う。

そして長期で失ってしまったものは後から取り戻せない。

それらの最たる例が、現代における最適化の流れで、効率や生産性は短期的にはとてもいいことだけど、長期的に見て失われているものがある気がしてならない。

その結果がわかるには時間がまだ追いついていない。

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