どうにもならない愛おしさ

自分の人生に満足している人はどれくらいいるのだろう。

今もこれからも幸せだと自信を持って言える人はどれくらいいるのだろう。

人は何かしら問題を抱え、解決したいと願い、将来に不安を感じつつ、喜びや悲しみを繰り返し、目の前のやるべきことをこなしながら、今よりももっとよくなりたいという原動力で生きているように思える。

人が集まって作る社会の中に存在している以上、少なからず他者とは関わらないといけなくて、でも思うようにいかないことや、期待はずれなんかもあって、他者のことを理解しようと試みながらも、あれやこれやと想像力をはたらかせて、うまくいくときもあれば、また違うを繰り返している。

その前に他者のことよりも自分自身を理解するほどむずかしいことはない。

自己理解とある程度の生きるスタンスが確立されていても、環境や他者次第では論理よりも感情が前にでてしまう。

それほどまでに人はあやふやで、言ったことと実際の行動が違っていたりと矛盾を孕んでいて、どれだけ大昔の哲学者が普遍的な解を出していようと、今もなお、ああでもないこうでもないと頭を抱えて悩んでいるように見える。

どれだけ立派と言われる人でも間違いを犯すことがあるように、どこまでも誰の身に何が起こるかわからないところが不思議でもあり、とても人間っぽくて愛おしくもある。

人にはいろんな感情があるけれど、一際寂しさという感情は奥が深い。

承認欲求も、自己顕示欲も、パートナーを求める恋愛も結婚も、強いては犯罪行為まで、すべて寂しさを埋めるため、と言えそうな気もする。

寂しさを“穴”という言い方をするけれど、自分に不足した何かを満たしたいという気持ちは、生物としての生存欲求からきてるのではないだろうか。

命をつなぎたい本能は生きものである以上理性で止められるものではない。

社会の在り方で穴の埋め方こそ変化するものの、いつの時代の人もみんな等しく寂しさを抱えて生きているように思う。

そしてその穴はどこまでも埋まらないという性質を持っていることが、これまた愛おしい。

埋めても埋めてもまた欲しくなる現象は、お金や権力や刺激に現れている。

決して満たされない気持ちを抱えながら生きている理屈では説明できない感じ、でもそれが文明の発展の原動力なのだから、寂しさ様様である。

うまくいくときもどうにもならないときもある人間という生きものがつくづく愛しく思う。

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