言葉を扱うむずかしさ

気持ちや感情を言葉にすることで自分の意見を他者に伝えることができて、自分自身への理解や内省にもなる。

頭の中に浮遊している散らばった単語をうまくつなぎ合わせて、話したり書いたりと身体の外に出す。

言ってみれば言葉は内から外、外から内へと移動させる道具であり変換装置みたいなもの。

大前提として単語の意味を知らないと言葉は使えないので、相手と会話もできないし、考えを整理することもできなし、考えることすらままならない。

だから生まれた瞬間から言葉を学び続け、使いながら、ときに間違いながら、表現の手段として自分のものにしていく。

言葉の利用方法にはある程度のセオリーはあるものの、その組み合わせは人それぞれでリズムやテンポ、抑揚や質感、まるで音楽を奏でるように無限に存在している。

話すのが上手な人。

書くのが上手な人。

気持ちを伝えるのが上手な人。

自己主張が上手な人。

言葉を使うのが上手な人は、この世界で、この社会で、この人間だらけの関係の中で有利にはたらく。

コミュニケーションにおいて言語化能力は圧倒的に優位だけど、必ずしも上手下手で優劣が決まるわけではないと思う。

言葉を使うのが下手でも、絵を描いたり、モノを作ったり、ダンスをしたり、演者になったりと、自分の気持ちや感情を言葉以外でうまく表現できる人だっている。

言葉を扱うのも絵を描くのも表現するための道具であり手段であるならそれらは同列に存在している。

ただ表現を受け取る側の評価軸が絵の上手下手より言葉の方がやっぱりわかりやすい。

言葉を上手に使える人は何気なく使えない人に対して言葉を求める。

うまく言葉にできないと不満を言う。

きちんと話してほしいと期待する。

なんでもかんでも言葉にすることを正しいかのように言う。

でも表現の仕方が言語優位でない人は、ときにうまく言葉にできないときがある。

頭の中の整理が遅かったり、適切な言葉を探していたり、相手の顔色をうかがったり、なかなかまとまらず必要なときに表現ができない。

それに母国語同士でも、互いが同じ言葉の意味や定義を理解してるともかぎらない。

言葉はどこまでも曖昧で正確に届けることも受け取ることもむずかしいように思う。

扱いもまたメールなどテキスト文化になっていて、その解釈は複雑になってきている。

ニュアンスの違いを許容して、意味の幅をもたせる。

遅れて結実することもあるから答えを急がない。

できることは、たとえ言葉が苦手でも諦めず真摯に向き合うこと。

何事もむずかしさの中にこそ楽しさや喜びが潜んでいる。

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