光が差す場所

ネタが思い浮かばない時は何気ない日常を。

お店の前面はガラス張りになっているので、目の前に広い

公園が見える。

自然の光が差し込む上に店内の壁紙が白いから写真がいい

感じに撮れるのだと思っている。

今までがずっと光の当たらないキッチンでの仕事環境だっ

たので、かねてよりの願いでもともとスナック的なファサ

ードを全部壊してガラス張りにした。

やっぱり写真にも人間にも自然の太陽光は大事だよなとし

みじみ感じる。

日曜日の今日は比較的、公園に人も多くそれぞれに楽しそ

うな風景をぼんやり眺めていた。

公園の近くにこんなお店があったらいいなと思い立ったの

がもう6年前の出来事。

せわしない毎日から解放されて何もしない時間も大切です

よねという提案するために始めたお店。

あれからさらにせわしない社会になって時間に余裕もなく

なって、何も提案できていなかったなと反省してしまう。

お店の方向性も徐々に変わっていき公園に来てる人には見

向きもされず、この場所にお店を作ったことにはほぼ意味

をなさなくなってしまったなあと振り返る。

光が差し込むという自己満足だけが残ってしまった。

土日に休みだったことがあまりないので、あのゆるやかな

休日の空気感を時に羨ましく思ってしまう。

今でも普通の人のような生活をしていたらもっと幸せだっ

たのだろうかと思ってしまう。

でもきっとそれぞれの立場でそれぞれの羨望があるはず。

どこに光を見つけるか。

遠くにあるかもしれないし、すでに差し込んでるかもしれ

ない。

その光に気づける感度は高く持っておこう。

関連記事

  1. 食と身体と地球

  2. おせっかいの出番

  3. 全部必要な時間

  4. パブリックイメージと予約制

  5. 期待と現実

  6. コミニュケーションとしての食