気取らない料理

仕事としての料理を作る機会がめっきり減ってしまったけれど、毎日食べるごはんで料理は日常的にしている。

あらためて思う、毎日の献立を考える人は大変だと。

仕事帰りの電車でだれかのスマホを覗けばレシピサイトを見ている人が多いと思えるのは職業柄のバイアスだろうか。

作り置きなんて流行りもあったけど、前もって数日先の献立を考えれる人を尊敬する。

自分にはできない、計画的にものごとを考えれない。

買いものに行ってから悩み、食材を見てから決め、割引シールを優先的に選び、組み立ていく。

考える、というのは時間もかかるしエネルギーも消費する。

いそがしい現代社会において、そら時短や出来合いや冷凍食品に頼りたくなるわけだ。

料理は手作りがいちばん美味しいと自負しているけれど、手間や時間や献立を考えるリソースを考慮すると便利さや楽に人はどうしても流されてしまう。

なぜ働いてると本が読めないのか、と同じように、なぜ働いてると料理が作れないのか、の解答は本質的に似ている。

それでも本と違って身体をつくる食べものだからこそ、安心安全な食材でちゃんと美味しいものを口にしたい。

料理をする時間を優先的に確保する。

大切にしたい価値観を大切にすることはきっとそんなにむずかしいことじゃない。

自分にとって何が大切かを明確にする。

予定を入れないだけで完成する。

家の料理は仕事と違ってプレッシャーがかからない。

それを食べる相手がいたとしても、お金を介さないやりとりはやっぱり自然体でいられる。

もちろん仕事で作る料理も反応や達成感の報酬はあるけれど、気取らない家庭料理ならではのほっこりした充足感もまた気持ちがいい。

プレッシャーに弱い自分としてはもしかすると家庭料理の方が向いているのかもしれない。

日々料理をしていて思うのは、だれもが食べたことのあるような定番料理には親しみがあるということ。

食べ慣れた味、舌が覚えている味、は先人たちの叡智が集約された結果であることに今さらながら感心する。

あの手この手といろんな料理本があって、いろんなレシピサイトが溢れているけれど、最終的にザ・定番料理に落ち着くのは、もうそれが正解を示しているからに違いない。

気取らない、着飾らない。

ストレートに、シンプルに。

料理も、対人関係も、人生も、きっとそんなに違わない。

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