畑から見える現実

今や農業も機械化が進んでいて、いかに設備投資ができるかで得られるリターンが変わってくる。
市場では安くて丈夫な野菜が好まれて、高齢者が利益度外視で作っている野菜が多く出回る。
経済合理性というか、競争原理というか、よっぽど身体に悪いものでなければ値段は安い方がいいに決まってる。
化学肥料を使わず丁寧に作った野菜は、値段が高い分だけ美味しさが比例するとは限らない。
生産量の問題もあるだろう。
世界人口は増えているのでたくさん作らないと追いつかない。
食糧危機の問題から培養肉や昆虫食などの技術も進んでいる。
手塩にかけて育てた野菜はどうしたら市場に適切な価値を提供できるのか。
同じような問題意識は飲食業界にも当てはまる。
丁寧にこだわりを持って作る料理は量産ができない。
実体験からの教訓は農業の在り方ともすごく共感した。
消費者のニーズに応えればいいこと、簡単に早く作ればいいこと、得体の知れないものが入っていても目を瞑らないといけない場面があること、頭ではわかっていても実際にできない人がいることも確かだ。
作り手の柔軟性や不器用さがはらんでいるかもしれないけど、それがいいとか悪いではなくて、ただそういうタイプであるということ。
自分が納得のいく領域で作る、納得できないものは作らない。
農業や料理だけの分野に関わらず、いろんなものづくりの仕事に通ずること。
同じような葛藤を抱えている人はきっとたくさんいるはず。
それは自分の美意識に正直で感性が開かれていることと同義でもある。
そんな人たちがもっと社会の中でうまく活躍できる場があればと切実に願う。

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