依存と調べれば、意志や性格の問題ではなく脳の病気と書いてある。
アルコールやタバコなどの物質依存、ギャンブルや浮気などのプロセス依存、恋愛におけるストーカーやDVなどの関係依存と大きく3つに分類されるらしい。
とはいえ、どれも明確に分けれるものではなく互いに重なる部分もあったりする。
脳に報酬系ができあがってしまい、やめたくてもやめられない。
自分でコントロールできず、ストレス発散や自分の正直な気持ちだからと、その感情や行動の理由を正当化してしまう。
その背景には脳の病気とあるように、意志の弱さや性格に関係なく、孤独やプレッシャー、自信のなさ、また子供の時の環境やメディアの影響にもよるという。
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依存症を考えるとき、たしかに意志や性格ではなく、社会のあり方や育ってきた環境が大きく影響しているように思う。
いい大人になってから依存に溺れる人はあまり聞いたことがない。
それでもストレス社会はひどくなっているので、いつ誰の身に起こってもおかしくはない。
だとしたら依存症になる人は不幸であり不運なことなのか。
意志でないのだとしたら、その中に自分で左右できる人生はどれくらいあるのだろうか。
健康を害するのはまだ個人の問題だけど、仕事や人間関係に支障をきたしてしまうのはやっぱりあまりよろしくない。
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ダメだと頭でわかっていてもやってしまうこと。
依存症と呼ばれるものに限らず、ふつうの人々にも日常の中に依存予備軍みたい行動はあるんじゃないか。
日々のお酒、甘い食べもの、脂っこいもの、背徳のある行為、嫉妬や束縛、密やかな男女関係、などなど表面化していないものは数え上げればきりがない。
それらが決して悪いことではなく人間はどこまでも弱さを孕んでいる生きものだと思う。
むしろ何にも依存していない人なんているのだろうか。
依存という言葉を、「頼る」に置き換えたらどうだろう。
他にも、逃げ場所、拠り所、安心できる存在、に置き換えたらどうだろう。
その強弱やバランスこそ大事なものの、特に人間関係において依存は生きていく上で欠かせないものではないだろうか。
依存にはなんとなく仕方なさが含まれているので脳の病気と記されていることに少し違和感が残る。


