常々、思っていた料理の美味しさは味そのものだけで決めれないということ。
誰と食べるか、誰が作ってるか、どこで食べるか、その他の環境も味に大きく関係している。
見た目、温度、音、香り、質感などなど、関わっている要素はたくさんあるはずなのに、料理を評価する言葉は美味しいか美味しくないか、単一の尺度で語られがち。
この本では味以外の要素を細かく分類して科学的に検証されていた。
思っていたことと相違はないけれど、いかに美味しいと言ってもらえるかの努力は大企業がすでに研究し尽くしているという印象だった。
内容を知れば知るほど頷けるものばかりで、消費者は少なからず無意識のうちに科学的アプローチで味覚をコントロールされていると感じた。
見た目なら色があって美しい盛り付けの方が美味しく見えるし、料理の味とは関係がなさそうだけど実際味覚にも影響しているという。
食べる時に口の中で広がる音や流れているBGM、香ばしさやフレッシュな香り、ザクザクやカリカリといった食感も味覚に含まれている。
料理のネーミングやキャッチコピーにも左右されている。
丸いものは甘みを強く感じるとか、カトラリーの質感や重さも影響しているとか、あらためていろんな要素が美味しさを決めていることを再認識できた。
お客様にいかに美味しく食べてもらうかを考えることは料理人としてあるべき姿なのはわかるけれど、最新の科学技術を駆使してこれ見よがしに食の環境を提供することへは少し違和感があった。
3Dプリンターでどれだけ美しい盛り付けができたとしても、一粒食べて複雑な味が表現できることも、一皿ごとに音楽が変わることも、自然と人間が生身で関わること以上の美味しさには敵わないような気がした。
恣意的ではない愛のある料理、ただシンプルにただ素直に作る料理、相手のことを思って作る姿勢そのものが一番美味しさに直結するのではないだろうか。
目に見えないエネルギーは科学で証明できない領域だから本当のところはわからないけれど。
そして誰と食べるか、同じ食事を共有して、同じ喜びを共有する幸せこそが料理を楽しむ本質だと著者も言っていた。
美味しいに越したことはないけれど、たとえ美味しくなくても喜びを共有できる役割りを担っていることに料理の意味があるのかもしれない。