自分らしくあるために

誰でもそうかもしれないけど、

気分が落ち込む時、なんでも前向きに捉えられる時、

常に波のように交互にやってくる。

やっぱり下から上に上がるタイミングは心地がいい。

悩んでいたことが嘘のようにすっきりする。

最近、20年くらいずっと考えていたことに対して、

答えの整合性が見つかった気がした。

ある意味、自分という存在は、

他者の評価によって形作られている、とも言える。

あれが得意だとか、これが向いているだとか、

ああした方がいいとか、こうした方がいいとか。

(そういえば小さい頃、おばあちゃんに

歯医者になりなさいと言われていたなあ)

褒められた言葉は、聞いていて気持ちがいいので、

自分でも気づいてないところで影響を受けているし、

無意識に情報が脳に刷り込まれていく。

本当に自分がしたいことをしてるのか、

他者の期待に応えているだけなのか、

立ち止まってじっくり考えてみないと、

なかなかわからない問いかけだ。

比べるという概念も、時に考えの妨げになる。

しあわせの基準は人それぞれあっていいのに、

誰かが作った基準の上に立って、

優越感を抱いたり、劣等感を抱いたり、

人の心の部分に大きく影響を与える。

頭でわかっていても度々、劣等感には心をやられてしまう。

劣等感があるからこそ、新しい挑戦をしたり、

もっとよくしようと励んだり、がんばるきっかけにも

なるけど、反対に壊れてしまう時もあるから紙一重。

SNSのおかげで様々な自己顕示欲が溢れているので、

できる限り関与しないメンタルも、

これからの時代では必要になってくる。

できることなら周りと比べることなく、

自分の中から沸き起こる選択をしていきたい。

自分を見失いそうになる様々な弊害は、

社会システムが生んでいるとも言える。

構造上、人間をきちんと整えないといけないから。

仕方がないと言ってしまえばそれまでだけど、

人間だけに与えられた能力である「理性」を、

うまく使えば生きやすくなれる可能性はあると思う。

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