捨てる勇気

小さな飲食店のイベント出店は大きなメリットと大きなデメリットが存在している。

メリットの一面は、まだ知らない人にもお店の存在を知ってもらえること、お客様が行きやすい地理的メリット、他の出店者との横のつながり、雰囲気を楽しめること、売上が期待できること。

デメリットの一面は、商品が余ってしまうこと、実店舗を休んでまで参加すること、準備に時間または費用がかかってしまうこと、時に徹夜の作業になってしまうこと、などなど。

いずれにせよイベントひとつでいつもとは違うエネルギーを発動させないといけない。

お店の商品上の特性もあるので一概に誰でも参加できるわけではないけれど、イベントに出店するしないの判断は何を目的としてどの価値を大切にしているかが問われるきっかけになる。

例えば、新しくお店を始めたなら実利的なリスクを抱えてでも、認知を広げるためには出店する方が望ましいような気がする。

積極的ではないけれど、声がかかればイベントに出店しているスタンスではあって、お弁当という商品がイベントに適していることも参加する主な理由ではある。

ただ通常営業を休んでまで参加することは幾ばくかの申し訳なさが伴う。

知らずにご予約された方にお断りしないといけない心苦しさというか。

それでも時に外へ出てみないことには刺激や変化がなくお店にとってもよくない。

相反する気持ちを抱きながらも今回二日連続でイベントに参加を決めた。

前回出店した伊和志津神社のイベントでは、開始早々15分で50食が完売した。

完売した喜びよりも、並んだ上に買えなかった方や、次に来られたお客様に対して申し訳ない気持ちの方が大きかった。

余らせるより売り切れる方がいいのは誰でもわかること。

用意する量の調整はどこまでも経験則でしかない。

前回の成功体験からか今回の京都のイベントでは一睡もせずに100食以上を準備した。

お断りする申し訳なさをもう味わいたくない。

イベントも何やら作り込まれていてお客様の来場が多いだろうと予測した。

天候も申し分がないほど春の陽気に包まれていた。

ところがいざイベントが始まってみると、集客が伸びず結果的に40食ほども残ってしまった。

こういう時に主催者さんが気を使って購入してくれることもどこか申し訳なさを伴う。

だって誰も悪くないし、仕方ないことでもあるから。

強いて言えば作る量を見誤ったお店側の責任。

このまま諦めては作るのにかけた時間が無駄になると案じ、インスタのストーリーズでディスカウントして協力を呼びかけたところ何名かのお客様に助けてもらえた。

(ご協力いただいたお客様、その節はありがとうございました)

盛り付けてから常温で時間が経ち過ぎたお弁当を提供する心苦しさも同時に感じながら。

京都ゆえ帰りが遅かったので、夜ごはんの予定までに案内している時間もままならなくて、結局は自分で消費するにも限界があり廃棄するという決断に至った。

フードロスは社会問題にもなっている。

作りすぎてしまうのは売上を優先した結果でもあるけれど、同時に一人でも多くのお客様に喜んでもらいたいという気持ちも介在している。

作り手はもちろん、主催者も同じ目的であることには違いない。

何もイベントだけに限ったことでなく、街のケーキ屋さんからスーパーやコンビニの商品まで、出来上がった食品を扱うような業種は廃棄が伴うのは避けられない。

今回そんな体験を目の当たりにして、どうしようもなさから生まれる気持ちの処理の仕方に戸惑ってしまった。

時間をかけて、費用をかけて準備したものが、何も生み出さず、誰の手にも渡らずに消えていく様子を。

最後の決断や処理を自分自身で下さないといけないことを。

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