無駄を知る

若い頃は時間の大切さなんてまるで意識していなかった。

すごく無駄に過ごしていたような気がする。

何も考えずにただ一日をやり過ごすばかり。

今となって時間が貴重なものだと思えるのは、

ある意味、歳をとった証拠かもしれない。

もっと早くに気付いていれば、

いろんな経験をしたかったと少し後悔する。

時間を買えるものなら買いたいけど、

個人事業主であり、わりと自由な営業スタイルで

やらせてもらっているので、采配ができる分

時間を買ってると言えなくもない。

逆に大切に使わないと、という思いが先行して

無駄に過ごしたりしてしまうと少し後悔する。

いずれにしても後悔するなら、

自分が納得する落とし所を早く見つけれたらと願う。

一日に集中できる時間は僅かだとわかっていても、

何かを考え続けずにはいられない。

注意散漫なタイプで、ろくに集中もできていないのに。

きっと一番パフォーマンスが発揮できる時間に、

全力で集中をして、後はリラックスして過ごし、

たっぷり睡眠をとれたら言うことなし。

過去を振り返れば全てが無駄だったと思えてしまうから、

直視はできないけど、回り道をしたなりに

たどり着いた今があるわけなので、無駄という概念は

あってないようなものだとも言える。

無駄だと気づけたことこそが無駄ではないから。

失敗という概念も同じようなものだろう。

人間は連続した時間性の一地点として存在していて、

過去や歴史から無駄を学び、たくさんの犠牲を伴い、

みんなが必死でより心地いい世界を作ろうと励んでいる。

誰しもが生きてるだけで未来の役に立っている。

でも、できればもっと上手に生きたいなあ。

関連記事

  1. アートの可能性

  2. フグの肝

  3. 考える意味

  4. 混ざってグラデーション

  5. 情報多すぎ問題

  6. 他と比べてどうかなんて