だれかが落ち込んでる時や、へこんでいる時は励ましてげ
ようと、いいことを言おうという意志がはたらく。
困っている人を助けたいとか、何かの役に立ちたいなど、
善意の気持ちって相手にとってほんとに嬉しいことなのか
は、結局のところ自分ではわからないもの。
人から感謝される言葉や行為は、故意ではなく意外と無意
識にとった行動の時の方が多い気がする。
あの時に言ってくれた一言が忘れられないとか、あの時に
してくれたことで救われたとか、そう言われてもなんのこ
とか覚えていない。
昔読んだ本の一文とか、昔観た映画のセリフが不意に思い
出されて心にささることもある。
時間が経ってから効いてくることがあるのは、今の自分が
やっと受け入れる準備が整ったということなんだろうか。
心の状態がよくない人に励ましの言葉は逆効果だなんて
言われるのは、そういうことかもしれない。
相手のためによかれと思ってとる行動が無駄になるという
ことは、自分本位ということなのか。
だれかのためっていう気持ちはどこまでいっても自分のエ
ゴが混じっているのかもしれない。
心のどこかでこう思われたいとか、称賛されたいとか、た
とえ意識をしていなくても。
今の社会規範に生きている以上、見返りを求める体質にな
ってしまっているから仕方なくもある。
そう考えるようになってからは、いい意味で相手と少し距
離をとるくらいがちょうどいいと思えるようになった。
自然体が一番いい。
簡単そうに見えることが難しいのは世の理だけど。