なぜ人に作ってもらう料理は美味しいのか

自分で料理が作れたとしても、誰かに作ってもらう料理の方が美味しく思えるのはなぜだろう。

これに関してはおおよその人が同じ意見だと思う。

もちろん誰かというのは人が見えるということを指している。

コンビニやスーパーのお惣菜に特定の人は見当たらない。

そう考えたとき、あらためて料理は顔の見える相手が作ってくれることが美味しさにつながっているのだと思えた。

身近で親密であればあるほどいい。

お袋の味なんて言うのは、その最たるものだ。

記憶にさえ残っていく。

人々が外食を楽しむのは、エンタテイメントを楽しみたいからではなく、自炊をサボっているのでもなく、ただただ誰かの料理を食べたいという潜在意識がそうさせているのかもしれない。

それは何も気取ってなくても自分のために作ってもらえたことが重要で、たとえ少しの不味さにも寛容になれる。

その行為の受け取り方は人によって違いこそあるだろうけど、無意識下で感じてるものはきっとあると思う。

美味しさはある程度レシピや科学で解決できるけれど、万能な方程式がないほどに変数の多いむずかしい領域。

状態や環境が少し変われば仕上がりも変わっていく。

また味覚や嗅覚は相対的で数値化できない感覚だから奥が深い。

育った場所が違えば味覚や嗅覚も違ってくる。

そんなむずかしい領域を超えてでも伝わる美味しさというのが、誰かに作ってもらう料理だったりする。

それが料理は愛情と呼ばれている所以ではないのだろうか。

人はだれしも自分以外の誰かの好意を潜在的に求めているのだと思う。

みんな強がらずに素直になればいいと思う。

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