人は普段触れている情報に大きく影響を受ける。
身近な人、職場の人、今過ごしている環境。
テレビなのか、インターネットなのか、本なのか。
あらゆるエンターテイメントもひとつのメディアだと言える。
そう考えると生まれた場所でほぼ人生が決まってしまうと言っても過言ではない。
それは抗えない運命のようなもの。
誰も基本的に人格的には悪くない、環境がそうさせている。
そんな人間理解への配慮は歳を重ねていろんな経験をしないとわからないことでもある。
どれだけ互いにコミュニケーショをとろうともわかり合えない関係だってあるだろう。
環境が違えば考え方も違うのは当然のこと。
完璧主義や心配症の人は特に揺るぎない世界観を自らの内側に構築しているので、わかり合うのが難しいように思う。
ぼくも昔はそうだった。
狭い世界の中で自分の考えが絶対に正しいと思っていた。
そんな虚勢はたくさんの失敗へ導いてくれた。
いや、今がそうでないと言い切ることがおこがましい。
常に不確かさを許容しながらも相手への敬意と尊重は忘れずに人と接していかないといけない。
まさに無知の知はあらゆる人にとっての基本姿勢であって欲しいと思う。
多様性とは最近よく聞く言葉だけど、本当の意味で一様に理解されているとも思えない。
自分との違いを受け入れることは結構なエネルギーと人生経験が必要な気がするから。
ひとつの尺度だけで物事を見てしまうと世界が狭くなる。
それ以外は悪だという解釈になってしまう危険性を孕んでいる。
そうならないように様々な視点と尺度を持ち合わせるには、悲しみや苦しみを乗り越えないといけないような気がするので人生は大変な道のりには違いないけど、それが人間として本来の豊かさだったりもすることが嗚呼もどかしい。