名前をつける

読書をしていてつくづく思うのは、今の自分にとって重要なテーマやタイミングが重なること。
自分のために書いてくれているのかと錯覚をする時もあったり。
かといって、後になってもう一度読んだ時にも同じことを思うことがあるのは、ちょっとした自分へのバイアスがかかってるのかもしれないけれど。
見えてる世界は不思議と自分の好みに収斂されていく。

行動する時は必ずきっかけと学びがセットになっている。
きっかけがあって、行動があって、学びがある。
そして次へのきっかけとつながっていく。
周りから見えるのは行動の部分だけだから、一貫性がないように見えてもきっかけや学びに軸があればいい。
その時に大事なのはやっぱり言語化することで、それが明確であればあるほど行動にも納得ができるということは腑に落ちた。

言葉を自分の外に出すというのはある意味クリエイティブでエネルギーのいる作業だ。
まずは感情を言葉に当てはめないといけないし、そもそも言葉を知っていないと始まらない。
思春期の行き場のない感情の高まりはきっとまだ当てはまる言葉を知らないから。
その衝動は美しくもあるし、一歩間違えればあらぬ方向にいってしまう。
後から振り返ってみてわかるものでもあるし。

名前をつける重要性はとても理解できる。
そうすることで視界が広がり、やるべきことが明確になり、愛着も湧いてくる。
とはいえ、そうわかっていても適切な言葉を見つけることがむずかしい。
思春期だけでなく大人になっても言ってることとやってることが違う人がたくさんいるのは、うまく言語化ができていないからかもしれない。
でも周りからどう思われようとも、自分の中には一貫性があって、自分だけの言葉を見つけ名前を与えればきっと人生の大きな推進力になるんだろう。
そうか、それが信念ということか。

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