
時代や社会の変化で価値観は常に変わっていく。
技術進歩の早さに比例して価値観の変化のサイクルも早くなることは否めない。
生き方や働き方、恋愛や結婚に対する考え方はひと世代違うだけで大きな差があることをひしひしと感じてしまう。
日本経済の低下、人口減少、単身者の増加、いろんな因子が複雑に絡み合って価値観の変化を助長している。
フラティズム。
新しい言葉はそんな過程における現象を概念や主義に落とし込もうとする。
最低限の生活でがんばりすぎずにゆったりと人生を楽しむ。
たしかにその背景には、デジタル化で生活コストが下がったことや、多様性による周りと同じじゃなくていいことや、コンプライアンスの問題やすぐに逃げていいことなど、社会全体が寛容になったことでどこかゆるい空気感は漂っている。
それにこの現象は、がんばって上を目指さなくても生きていけるくらい、世界がどんどん豊かになっている証拠だと思う。
ぼくたちの世代の幸福とは、お金や結婚や名声といった誰から見てもわかりやすい基準だった。
下の世代ではフォロワー数や再生回数といった承認欲求が幸福の基準になっているのかもしれない。
それらはいずれも数値化されるもの、わかりやすいもの、周りから評価されやすいものが指標になっている。
さらに下の世代、その先の幸福がフラティズムということなのか。
他者評価ではなく自己充足。
テクノロジーなどの環境が整い、それが可能になった。
自分が自分らしくいれること、多様な世界はこれからもっと早く進んでいくだろう。
成長志向へのアンチテーゼ。
成長したからこそ受けれる恩恵でもあることにアイロニーが効いている。
出来上がったものを壊しては、また新しい考え方ができていく。
歴史とはそんな繰り返し。
みんなが最低限の生活をしたらどうなるのだろう。
モノが売れない、経済は回らない、人口は減っていく。
それでもいいとみんなが思えるなら、それが次世代の幸福になっていく。
移ろう価値観に身を委ねれるように柔らかく生きたいものです。