相手のすべてを理解しようなんておこがましい。
不思議なことに人間はひとつとして同じではなくて、
恋人でも、親子でもわかり合えるものではない。
一卵性双生児の場合もきっとそうだ。
今までは人の話を聞くのがとても苦手で、
いつも適当に聞き流していた。
自分が正しいと思っていたし、プライドもあったし、
経験に基づく自信のようなものもあったと思う。
若さがそうさせていたようにも思う。
少なからず人はみんな自分が世界の中心にいる。
年を重ね、いろんな失敗を経験してきて、
ようやく利他の精神や、まず自分から与えることへの
大切さが少しづつわかってきたような気がする。
論理的に秩序立てて、言葉にするのはむずかしいけれど、
感覚として身についてきたような気がする。
自分から心を開かないと、相手も開いてくれない。
大人になると当たり前のようなことが、
往々にして当たり前にできなくなるもの。
いろんな重りを外して高い視座で世界を見てみると、
新しい発見があっておもしろい。
いかに狭い世界で生きてきたのかがよくわかる。
今まさに料理という世界を俯瞰して見ていて、
たくさんの人に自ら能動的に話を聞くことで、
同じ世界にいても、それぞれの人が抱いてる感情は、
千差万別で多様性に満ちている。
それが素晴らしいことなんだと今やっと気づける。
時代も多様性を後押ししてくれている。
でも本質的に持っている感情はみんな同じのはず。
多様な因子が集まってこそできる何かを見つけることに、
とても興味がある今日この頃。
少し話を聞いただけでは、相手を完全には理解できない。
理解できないことをわかっていながらも、
理解しようとする姿勢に意味があると思っている。
