がんばったあと

人間の欲というのは不思議なものでキリがない。

満たされてもまた欲しがり、足りないものを見つけてはまた欲しがる。

一生かけても使いきれないお金を持っている人が、悪いことをしてまでさらにお金を欲しがるのは不思議で仕方ない。

異性関係も薬物中毒も同じようなものだろう。

みんな安定が大好きなはずなのに刺激を欲しがる。

人間のわがままで自己矛盾を孕みながらも、表では立派なことを言ってるところがなんとも愛らしい。

もっと質のいい食材を使いたくなる。

もっと質のいいカメラで撮りたくなる。

もっと質のいい化粧品を使いたくなる。

もっと質のいい暮らしがしたくなる。

満足を満足のまま維持させることはなかなかむずかしいようだ。

刺激が欲しくなるのはドーパミン型幸福の一種だろうか。

お酒も甘いものもギャンブルも同じようなもの。

依存と幸福の境界もこれまたむずかしい。

職場、住む場所、他者と比べること、周りの環境にも影響を受ける。

深く辿ればストレス社会とも大きく関わっている。

しかし幸福は他にも、人や社会の信頼関係で生まれるオキシトシン型や、日光や自然からいただけるセロトニン型といった、パッとしないわかりにくいものも存在する。

ドーパミンを短期型、オキシトシンやセロトニンを長期型と分類してもいいのかもしれない。

自分自身を律してコントロールすることが人間の理性だとしたら、ドーパミン型幸福はある程度融通がきくのではと思っている。

喜びや感動や面白さは相対的なものであって、期待値のギャップの大きさで決まる。

テストでいつも90点取る人が95点を取るより、いつも30点取る人ががんばって70点取る方がきっと喜びの量は大きい。

タワマンに住んでワインを飲む喜びと、肉体労働の後にビールを飲む喜びとでは幸福度にそう差はないはず。

縄文時代に肉にありつける喜びと、推しのアイドルに会える喜びとでも同じように言える気がする。

何を基準にするか、また何に喜びを見出すか。

驕り高ぶらず常に謙虚さを持ち合わせていれば、いかようにも幸せになれる気がする。

そして社会はがんばらないことに寛容でありながらも、何かのためにがんばるという行為は幸福を得る上でとても大切な気がする。

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