今日、高校生から取材を受けた。
大きなテーマとしてはフードロスについて。
受験のための小論文の参考にしたいとのこと。
何が話せるのだろうと事前に少し調べてみると、様々な要因が複雑に絡み合ってフードロスは表面化しているのだとあらためて思えた。
資本主義システム、社会的な背景、物流や情報などなど。
どれか一つの原因があってそうなっているわけではなくて、たくさんの変数のよって顕在化している現象なんだろう。
資本主義システムは人間の本能的な欲求に根ざしているため、もっと欲しい、もっと利益を出したい、もっと成長したいという風に力学がはたらくようになっている。
選べる楽しさを提供するために過剰生産をしたり、利益のためにロスを見越して大量生産をしたり、消費者に刺激を与え、競争が生まれ、ものはどんどん増えていくばかり。
いい環境を知ってしまったらもう後には戻れないように、便利や早さに人は順応していく。
もはや売り切れや遅さを不満に思う人はきっと多い。
近くのコンビニやスーパーがなくなってしまうと困ることでしょう。
社会的な背景から見れば、核家族化や単身者が増えると食材を使いきれずに廃棄する量が増えてしまう。
そもそも働く人が増えて料理をする機会も減っていることでしょう。
時短を優先して食事を買うことが増えると、これはむしろフードロスが減るのかもしれない。
食材を適切に使う、余ったものを他の料理に応用する、自分が食べる量を把握する、などある程度の知識も必要になってくる。
豊かになりすぎたがゆえに、足りないくらいなら多めに買っておこうと思う人も多いような気がする。
これは捨てる罪悪感より選択肢の多い可能性を優先しているのだろうか。
物流や情報の視点から捉えると、都会では流通網ができ過ぎていてサービス過剰に陥っているような気がする。
賞味期限が近づいてきたら店頭に並べられないルールで食べれるのに捨てるという現実もある。
何が必要で何が足りないか均等に情報も行き届いていない。
みんなが等しく同じ意識でフードロスについて考えたらなんとかなりそうな気もするけれど、関心を寄せる時間がないほどに忙しくエンタメに時間を費やしている。
考えれば考えるほど課題はたくさんあって簡単には解決できない。
ありきたりな回答になるけれど、一人一人がフードロスを意識して取り組むことが唯一できることなんだと思う。
さらにそのことを自分の課題として問題視しているなら周りの誰かに伝え続けないといけない。