社会はまるで生きもののよう

一人として同じ人間がいないように、その数だけ人生の物語が存在している。

いわゆる勝ち組と呼ばれるような成功している人を見て劣等感を抱いたり羨ましいと思う反面で、ギャンブルやお酒に溺れてどうしようもない人生を送っている人を見て可哀想だなあとも正直思う。

だからと言って自分がその中間に位置しているわけでもなくて、階層で分類するのもまた違うような気がする。

生まれた環境で人生はほぼ決まってしまうと思いながらも、運や意志で自分の人生を変えれる可能性もあると信じていたりする。

それでも今起きてる事実がすべてであって、実際にキラキラした人生もあればどん底の人生も同時に存在している。

おそらくどれだけがんばっても全員が全員キラキラできるわけはなく、そのバランスはある程度構造化されているように思う。

単純に割合で決めれるようなものではなく、なんとなく中で入れ替わりながら常に動きながら自然に均衡を保っている。

一人の断片的な人生の集合体を社会と呼ぶなら、社会とは先の構造やその振る舞いを鑑みるにまるで一つの生命体であるようにも考えられる。

一人の人間も一つの細胞が入れ替わりながら常に動いてバランスを取ることでその形状を保てているから。

細胞の集合=人間、人間の集合=社会、とするならば、社会の方がよくなっているのは人間の意志による差なのかもしれない。

現状いろんな問題を孕んでいて、ああでもないこうでもないとぶつかったりもしているけど、それでも社会はうまい具合に成り立っていて、なおかつ世界的に見て貧困も徐々に減ってるなど豊かでいい方向に向かっている(ように見える)現象は、まさに生きているかのようで不思議な感じがする。

歴史の文脈で俯瞰してみると社会は絶えず動きながら休むことなくずっと生きてることになる。

ひと一人の人生なんてその中のごく僅かの一瞬にしかすぎないけれど、毎日の、毎秒の、社会にはたらきかける善い行いの積み重ねで社会全体もきっとよくなっていくのだろう。

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