こうでなければならない問題

たとえば結婚はするものと思っている人はまだまだ多いと思う。

キラキラした幸福のイメージが先行する男女の慕情はいつの時代も普遍的なコンテンツだ。

でも結ばれることが幸せ、と結婚することの幸せは少し違っていて、結婚はあくまでも社会が整えた制度にすぎない。

今結婚する人が少ないことや離婚する人が多いことは、誰のせいでもなく社会背景の影響が大きいだろう。

働き方の変化やエンタメの充実、フェミニズムの台頭も含めていろんな要因が自然と社会の流れをつくっている。

中でもインターネットによる知の拡散は大きな要因になっていると思う。

情報へのアクセスが容易になったことで、いろんな人の考え方を知れるようになった。

こんな生き方があるんだ、こんな幸福の形があるんだ、と個人がそれらを自由に選択できる権利を持つようになった。

人権の拡張と言ってもいいのかもしれない。

知った上で何を選ぶか。

中にはなんとなく周りに合わせて選んでいる人もいるだろう。

今までのように権力者が優位なやり方というのが通用しなくなってきている。

あらゆる思い込みや概念がゆるく溶けていってるような印象がする。

こうでなければならない、という思い込みは時に誰かにとって都合のいい考え方だったりするので一人一人が考える機会を与えられたとはとてもいいことだと思う。

だからと言って自己責任論に偏重してしまうと、知って考える機会を与えられない環境にいる人たちもいるので知の格差が生まれてしまう。

それに何をしても自分の責任となると社会の役割も機能しなくなってしまう。

人類のおおよそが自分の人生の幸福を目的としているなら、その形は人それぞれであっていいはず。

なのにわかりやすくて数値化できるお金や愛や権力といった人気の競技にみんな参加しては比べて疲れてる現象がSNSで顕著に現れているように思う。

幸福とはこうでなければならないはメディアが利用しやすいだけで、その思い込みから抜け出すにはまずは知ることから始まる。

知った上で自分にとって没頭できる幸福な時間が人生の何割かを保っておけたならもっとスマートに生きれそうだ。

かくいう自分もまだその領域には達していない。

そしてこうでなければならないを相手に押し付けることに気をつけなければならない。

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